2014年受賞者の言葉

【活字部門】

☆大賞

「戦後70年へ『北海道と戦争』」(北海道新聞、8月~現在)

                         取材班 担当デスク 近藤 浩

                              同    枝川敏実

 戦後70年に向けた北海道新聞の長期連載「北海道と戦争」は昨年8月にスタートし、2月で半年を迎えました。戦争体験者らの証言をもとに戦争にかかわる北海道と道民の物語を3~5回程度の続きもので原則毎週、掲載しています。敗戦からちょうど70年にあたる今年8月まで連載する予定です。道半ばでの「メディアアンビシャス大賞」受賞は今後への期待感と受け止めています。

 戦後70年とは、戦後まもなく生まれた人が古希に達しようかという年です。戦禍の記憶が薄れる中、再び戦争を繰り返さないために新聞として何ができるのか。現場の議論の末にたどりついたのは、10年ごとの節目としてはこれが最後になるかもしれない戦争体験者の記憶を聞き、あの戦争で何があり、私たちは何を学んだかをもう一度、見つめ直すというシンプルなものでした。

 連載は、北海道ゆかりの人々の「終戦」に焦点を当てた序章「それぞれの8・15」から始まり、現在は第6章「銃後」に入っています。この間、米英軍が立案していた「北海道上陸作戦」の存在などこれまでほとんど知られていなかった事実も伝えることができました。取材班は報道センターのほか、全道各地の報道部、総支局の若い記者も参加しています。今後は北海道空襲や終戦後の引き揚げ、さらにわたしたち新聞が戦争をどう報道していたのかも検証していきたいと考えています。

☆メディア賞

「戦後70年に向けて いま靖国から」(毎日新聞、6月~7月)

                          編集委員 伊藤智永

新聞連載を元に「靖国戦後秘史~A級戦犯を合祀した男」をいう本を出したのは、第一次安倍政権の時である。そこでは「戦後レジーム」を打破したかった靖国宮司のほか、今や忘れられているA級戦犯合祀に抵抗した前任宮司の存在、今や政府は靖国とは別に「21世紀の戦死者」の追悼施設を準備していることなども書いた。

 靖国批判論には、千鳥ケ淵戦没者墓苑こそが国の追悼施設にふさわしいという主張がある。しかし、取材の過程で、そもそもA級戦犯が合祀できるように計らったのは、名簿(祭神名票)を靖国に送った旧厚生省援護局幹部の元陸軍大佐で、他ならぬ彼こそが千鳥ケ淵を創設し、退職後は死ぬまで「墓守」を続けていたことを知った。靖国も千鳥ケ淵も軍人名鑑にすら載っていない平凡な元軍官僚が成遂げたという事実に心ひかれ、その埋もれた生涯を「奇をてらわず~陸軍省高級副官美山要蔵の昭和」という本で紹介した。 民主党政権の三年間、靖国問題は棚上げ状態だった。私は海外勤務となり、帰国したら第二次安倍政権が誕生して、また靖国参拝問題が再燃した。図らずも靖国問題と10年以上取り組んできたことになる。わずか(?)10年の間に、日本社会における「問題」のとらえられ方や意味づけが、大きく変化したことを感じずにいられない。

 戦後70年は戦争体験者の生の証言を聞くおそらく最後の機会だというので、メディアは改めて熱心に戦争体験を語り継ごうとしている。だが、「事実の重み」という言葉が、ずいぶん軽くなったように感じるのは、私の気迷いだろうか。この連載は、私たちの戦後70年間の「戦争の思い出し方」を確かめようと思って書いた。意を尽くせない出来にもかかわらず、受けとめて下さった読者がいたことに感謝しています。

☆アンビシャス賞

「政府事故調の『吉田調書』入手」(朝日新聞、5月20日)

                          木村英昭

                          宮﨑知己

たいへん励みになる賞をいただいたと思っています。ありがとうございました。

☆入選

■「『秘密法』を考える」(北海道新聞 14年1月~現在)

                 取材班キャップ 立野理彦

 このたびは「入選」に選んでいただき、ありがとうございます。

 国家機密の漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法をめぐっては「マスコミが問題点を取り上げるのが遅かった」との批判が少なくありません。北海道新聞も本格的に紙面で展開するようになったのは、2013年12月の法案成立の約2カ月前からでした。早くから問題意識を抱いていた記者も一部いましたが、残念ながら多くの記者には共有されていなかったのが実情でした。

 その後、反対の世論は急速に高まりましたが、与党の強行採決で法律は成立しました。その際、私たちが考えたのは「書き続けないと意味がない」ということでした。今回選んでいただいた「『秘密法』を考える」はあくまでも、秘密法に警鐘を鳴らす一連の報道の一つです。

秘密法をめぐっては、懸念されていたとおり、政府や国会における目立った動きが減少し、早くも社会全体に萎縮した空気が漂っています。しかし、今回の入選を機に、今後も諦めずに特定秘密保護法の問題点を追い続けたいと思っています。

■「元朝日新聞記者と北星学園脅迫事件のその後」(雑誌「創」2015年1・2月号)

                 北海道新聞編集委員 徃住嘉文

「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目になる」という演説で知られるドイツのヴァイツゼッカー元大統領が1月31日、他界した。演説は1985年、戦後40年の節目に戦争の罪と罰、そしてドイツの再生への希望を国会で訴えたものだ。ナチスの戦争犯罪に対する、国民の戦争責任を述べたくだりがある。

 「目を閉ざさず、耳を塞がずにいた人びと、調べる気のある人たちなら(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。(略)余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのが現実であります。(略)良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。闘いが終わり、筆舌に尽くしがたい大虐殺(ホロコースト)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのです」(永井清彦訳、荒れ野の40年)

 今回の入選は、月刊誌「創」に書いた北星学園大学への脅迫問題だ。北星学園には、非常勤講師として、元日本軍慰安婦の悲惨な体験を書いた元朝日新聞記者、植村隆さんがいる。日本軍の責任を否定する人びとが、植村さんの解雇を求め大学、植村さん一家を脅している。

 今日、慰安婦の3文字に新聞、テレビは萎縮する。朝日新聞が、慰安婦問題で火だるまになっているのを見て、自身への飛び火を恐れる。新聞、テレビは当初、どこもこの問題を報道しなかった。

 「創」を発刊する創出版は、東京の小さな古いビルの中にある。篠田博之編集長は、攻撃される危険を負いながら、北星大学と植村さん一家を守る原稿を載せ続けた。最初に問題を報じた「週刊金曜日」、戦列に加わった「世界」ともども、入選は、雑誌ジャーナリズムのものである。

 私は新聞記者だ。だが、新聞に記事を載せることができなかった。自由、民主主義をガス室に送る列車に気づきながら、人びとに危険を知らせることができなかった。取り返しのつかない罪を、新聞は負った。

【映像部門】

☆大賞

「揺れる原発海峡 ―27万都市 函館の反乱―」

           北海道文化放送報道制作局報道部副部長  向田陽一

この度はメディアアンビシャス大賞に選出して頂き、感謝申し上げます。同業他社や新聞・雑誌の記者等ではなく、市民の目線で選出される賞で高い評価を頂いたことを番組制作に関わったスタッフ全員、光栄に感じています。今回の「揺れる原発海峡―27万都市 函館の反乱―」は地方自治体である函館市がなぜ、国を相手取り、東京地裁に訴えを起こさなければならなかったのか?福島第一原発事故以降、取材をしてきたニュース素材をもう一度、丹念に見直し、それを積み上げていく事でその背景を解き明かすことが出来ないかと考え、制作しました。取材は函館支社駐在の三宅記者が函館、青森県大間町パートを担当、東京での街頭インタビューや弁護士へのインタビュー等は二階堂はるか記者が担当しました。三宅記者は30代、二階堂記者は20代、ドキュメンタリー番組の制作に関わるのは今回が初めてでした。三宅記者は東日本大震災以降、大間原発の建設に反対し、母親が建てたあさこはうすを守る小笠原厚子さんの取材を続けてきました。たった一人で戦った母親の思いを引き継ぐ小笠原さんの姿を通して見えてくる大間原発の非情さを描くことが出来ました。皆さんもご存じの通り、大間原発の主たる目的は発電ではなく、行き場が無くなったプルトニウムを燃やして減らすことにあり、実質破たんしている核燃料サイクルの矛盾の産物とも言えます。とはいえ、国の原発政策の根幹をなす核燃料サイクル。その一翼を担う、大間原発の建設を止める事はたやすいことではありません。要請を何度続けても、その思いが中央に届かないという経験を通じて、函館市長は裁判でしか、止める事は出来ないという思いに至ったと考えています。事実、建設差し止めを巡り係争中にも関わらず、電源開発は原子力規制委員会に対して、大間原発の適合性審査を申請しました。函館市が起こした裁判と並行して、この安全審査がどうなっていくのか今後もニュースで追い続けて行きます。

☆メディア賞

「陽炎 えん罪被害の闇」

                北日本放送番組制作スタッフ代表 小丸明宏

この度は、弊社の番組「陽炎―えん罪被害の闇―」を表彰していただきありがとうございます。報道制作に携わるものとして、こうした受賞は何よりの励みになるもので、スタッフ一同嬉しく思っています。それにも関わらず、きょうは受賞式に出席できず申し訳ございません。

ここで、番組制作への思いについて、少し紹介させていただきます。

【制作意図】今から12年前に、強姦事件と強姦未遂事件の犯人として逮捕された柳原浩さん(現在47歳)は、3年あまり服役しました。えん罪だと分かったのは刑務所をでてから2年後。そのきっかけは、真犯人の逮捕によるものでした。

柳原さんは再審裁判で、無罪判決を受けますが、今も事件に巻き込まれる前のような元通りの生活を取り戻すことができないでいます。地元富山での就職活動は不採用の返事ばかり。係争中の国家賠償請求訴訟が不採用の理由になった例もあったそうです。こうして地元での生活をあきらめ、東京で一人暮らしを始めました。

ところが柳原さんは、自白を強要された当時の厳しい取り調べが原因でPTSDを発症していたのです。医師からは仕事を止められ、生活保護を受けながら絶望と孤独の中でひっそり暮らしていました。

えん罪が発覚してから、7年たった柳原さんの生活に密着し、その被害の実態と根深さをえぐり出し、居場所探しにもがく姿を浮き彫りにしようと努めました。

日本の警察の自白に偏った捜査は大きな問題になっていて、ようやく取り調べの可視化が少しずつではありますが進み始めています。弊社では、当時の警察が作った捜査報告書や被害者の供述調書を入手し、警察によって証拠がでっちあげられていった経緯を再現しました。

陽炎に揺らめく真実と儚い人生。必死に真実と向き合う柳原さんを通して、えん罪被害の恐怖と理不尽さを描きました。

【思い・苦労】番組をつくるにあたって一番苦労したのは、柳原さんとの付き合い方です。予定していた取材を当日になって無断でキャンセルされたり、意思疎通のすれ違いで取材させてもらえなくなった記者もいました。携帯電話を着信拒否にされたりもしました。

私たちは、これらは柳原さんがPTSDを発症しているためと考えました。番組からも分かるように、もともと柳原さんは話すことが上手な人ではありません。聞きたいことは山ほどありますが、あれこれ矢継ぎ早にするようであれば、取り調べのように感じられる可能性もあるため、私たちは、会話の中で自然に柳原さんが口を開いてもらえるようにと取材を心がけました。

また取材に応じてくれるものの、ほとんどの場合、ピンマイクの着用やガンマイクの使用はNGでしたので、無理強いはせず、取材が完全にNGになることだけは避けようと、各自が任務を遂行しました。そんな孤独な柳原さんにも、心を許している小学生時代の恩師の存在にはホッとするものがありました。

柳原さんの国家賠償請求訴訟の裁判は、警察官や検察官への証人尋問を含め、これまで27回にわたり開かれてきました。提訴からまもなく6年が経とうとしているこの訴訟の判決は、いよいよ3月9日です。

私たちは、引き続き取材を続けて参ります。 

☆      ☆

「陽炎」は、えん罪発覚当時からの7年間の記事、映像、資料など数多くの弊社スタッフの力があってこそ作り上げることができた番組です。

この度は、思いもかけない賞をいただき、スタッフ一同、感謝しております。本当にありがとうございました。

☆アンビシャス賞

「本当は学びたい  ~貧困と向き合う学習支援の現場から~」

                        NHK制作局青少年・教育番組 西澤道子

この度は素晴らしい賞をありがとうございます。お志あふれる会員の皆様に選んでいただけたことに胸がいっぱいです。今後の取材活動の励みになります。心より御礼申し上げます。

取材に応じてくださった皆様、そして、困難な取材を支えてくれました坂井専任部長(当時)・六本CPはじめ青少年教育番組部の皆さん、ロケチーム、ETV特集班…全ての方々に改めて御礼申し上げます。

学び直しを支えるNPO代表の青砥恭さんの信念にひかれて取材を始め、貧困の中で学びから遠ざかった若者4人が出演してくれました。ロケが始まると、待っていたのは、出演への親戚の猛反対や「貧しいことを知られるのはやっぱり不安」という撮影ドタキャンなど、数々の荒波。当事者だけでなく社会が貧困を「恥ずべきもの」と捉えている現実、貧困の根深さ難しさを、突きつけられました。

就職活動を始めた子が家族のDVで仕事探しどころではなくなったり、ある子は仕事を突然クビになったり。共通するのは、重なり合うそんな困難を「いつもこうだったから、しょうがないよ」と淡々と受け入れてゆく姿でした。貧困が子どもたちから奪ってきたものは何かを考えさせられる日々でした。

そんな彼らが、人に支えられた時。誰かにほめられた時。たまに見せる笑顔に、うれしくもなり、せつなくもなりました。なぜ彼らが、「自分たちは社会の隅っこにいなければならない」と思わなければいけないのでしょうか。堂々と生きることが許されないのでしょうか。絶対に支えが必要です。

番組では、不登校だった中学生のあかねさんが、NPOで学び直し志望高校に合格しました。その後は高校が楽しくて、ずっと皆勤だそうです。適切な支えがあれば、子どもたちはこんなにも瑞々しく学びへの気持ちを育んでいけるのだということを、改めて感じました。

メディアとしてできることは何か、今も考えています。

☆入選  

■「裂かれる海 ~辺野古 動き出した基地建設~」

            琉球朝日放送ディレクター 島袋夏子

                         棚原大悟

 「基地問題」を論じるとき、狭い沖縄でも、スタンスを巡り、いがみ合いが起きます。「裂かれる海」というタイトルは、日米両政府が辺野古・大浦湾の海に設けた立ち入り禁止水域のことであり、基地問題を巡る人々の対立を表しています。

 人々がオスプレイの配備に抗議の声をあげていた現場で、私が偶然再会したのは警察官となり市民団体を抑え込む同級生でした。普段は仲良く暮らしている人たちが、基地を巡っていがみあわされ、地域の祭りや行事もできなくなる、そして基地建設には反対だけど、仕事などのしがらみから声を出せない人たちが責められたり、生きづらくなったりする、基地問題が壊すのは、環境だけではなく、こうした人々の絆でもあります。番組ではそんな県民の苦しさを、全国の人たちに少しでも理解してもらいたいと思いました。

しかし、番組を制作してからわずか2カ月の間にも、状況はより深刻になっています。辺野古、大浦湾の海には巨大なコンクリートブロックが投げ込まれ、豊かなサンゴは音を立てて破壊され続けています。去年末に「辺野古への基地建設反対」を表明する翁長知事が誕生するも、動き出した基地建設を止めるすべはなく、沖縄県民の民意は日本政府にも無視され、彷徨っています。

今回、思いがけず北海道から励ましをいただいたことに感謝しています。どうか、これからも辺野古、沖縄の現状を見守っていただけたらと思います。

■「和解 ~広島・中国人強制連行問題の軌跡~」

                中国放送報道部 ディレクター 藤原大介

原爆投下は、広島が関わった戦争の一面に過ぎません。ただ、被爆の惨状があまりに凄まじかっただけに、他のことについてはあまり語られてきませんでした。中国大陸の人々が広島へ連れて来られ、労働を強いられた問題もその一つです。

この問題の実態は1990年代以降、広島の市民グループや中国の研究者たちによって明らかにされてきました。そして、柴田和広という私の20歳上の先輩記者が、その模様を地道に記録してきました。この膨大な蓄積がなければ、今回の番組は成立しえませんでした。

私自身の体験も番組制作のきっかけとなりました。2003年から5年間、JNN北京特派員として歴史認識を巡る日中対立を目の当たりにしました。反日デモでは、原爆のきのこ雲を描き、日本を揶揄する心ないプラカードも掲げられました。広島人として憤る一方で、自らの被害を強調するばかりでは非核・平和の訴えは受け止めてもらえないのではないか…そんな思いを深くしました。

この番組はローカルニュースやTBS「報道特集」での企画を積み上げ、実現しました。30分間という限られた尺の中で複雑な経緯、関わった人々の思いを描くことは至難の業でした。描くべきことを描ききれたとは到底思えません。ただ、先輩から引き継いだ記録を、番組という形で残したかった、というのが正直な気持ちです。

ですから、今回の受賞は全く思いがけないものでした。これを励みに、戦後70年のヒロシマ報道に取り組んでいきたいと思います。

■「神秘の球体 マリモ ~北海道 阿寒湖の奇跡~」

NHK札幌放送局報道番組

              チーフ・プロデューサー 前田浩志

NHKスペシャル「神秘の球体 マリモ」はNHK札幌局と釧路局のディレクター2人で取材・制作しました。もともと番組の企画は一昨年の春、釧路局の入局5年目、26歳のディレクターがもってきた話です。阿寒湖にある釧路市教育委員会マリモ研究室の若菜勇さんが、長年マリモの研究をしていて、5~6年に一度の「打ち上がり」が今年(2013年)の秋に起きそうだと言っている。実はマリモ自体はとても有名だが、そもそも「なんで丸いのか」すらちゃんと分かっていない。これを記録すると、知られざるマリモの球化の秘密がわかるのではないか、という提案が出されました。

NHKスペシャルは年に2回、全国のディレクターに提案募集が行われるのですが、この提案は東京の本部も非常に興味を持ってくれた。そこで、札幌局にいる入局20年のベテランディレクターと2人一組で1年間取材をさせました。取材を進めると2つの発見がありました。まずマリモの最後の群生地は、阿寒湖とアイスランドのミーヴァトン湖の2つになったといわれていましたが、アイスランドに実際に取材にいくと、そこではマリモの群生地はほぼ絶滅していた。阿寒湖のみとなっていたんです。

もうひとつは、カメラ機材の進歩が長期撮影を可能にした。ゴープロと呼ばれるミニカメラを阿寒湖のチュウルイ湾に1か月ほど固定し、マリモが回転して丸くなる映像の撮影に成功しました。以前ならもっと大がかりなロケが必要になり、自然への負荷が大きくて出来なかったでしょう。ゴープロはYOU TUBEでもみなが動画撮影に使っている簡易なカメラです。長期撮影が可能なカメラ、記録メディアもSDカードなのでかさばらない。機材の進歩でまだまだドキュメンタリーの可能性は広がるなと、一方で、制作者側もそれを生かせる構想力が要求されるなと思います。

なお、撮影にあたっては北見工業大学の中山恵介教授に多大な協力とご指導を頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。

         ☆

このNHKスペシャルは英語版も制作し、10月25日に海外で放送したところ、イギリスやマレーシアなど各国から再放送希望が相次ぎ、3月に国際放送で4回アンコール放送します。阿寒湖はマリモが群生する自然環境を世界遺産に登録しようとしていますし、アジアの観光客も年々増えています。この番組が、世界にも優れた阿寒の生態系を知ってもらうきっかけになれば、公共放送としてこれほど嬉しいことはありません。

Print Friendly, PDF & Email