2013年受賞者の言葉

【活字部門】

▽メディア・アンビシャス大賞:北海道新聞「占領軍は何をした」「米軍がいた札幌」

※推薦は別々でしたが、同一テーマですので1作品として扱いました。また12月に掲載されたGHQによる「郵便検閲」も一連のものとして表彰対象に加えました。

                            北海道新聞報道センター 井上雄一

 このたび、2014年メディア・アンビシャス大賞に選んでいただき、ありがとうございました。大変光栄です。

 昨年夏に「米軍がいた札幌」の連載企画を始めたきっかけは、先輩記者から陸上自衛隊真駒内駐屯地などに、占領軍の米軍が使っていた建物が今も残っていると聞いたことでした。取材を進めて、その占領軍の暴力による被害者や遺族の連絡先を見つけ、連絡を取ると「今さら話をして何になるのか」「思い出したくない。そっとしておいてほしい」と断られることが何度かありました。遺族たちが戦後に味わってきた孤独の深さを思い知らされた気がします。占領軍の暴力に関しては、泣き寝入りしているケースも多数にのぼるとされており、その実数さえ分からないことに背筋が寒くなります。

 戦争を知る世代の人が少なくなり、占領軍被害を証言してくれる人も同様に高齢化して年々少なくなっています。あの戦争が何だったのかという生の証言を、どれだけ記録しておけるか、この数年が勝負になると感じています。この時代に新聞記者をやっている者としての責任をかみしめ、仕事をしていきたいと考えています。

▽メディア賞:琉球新報「日米廻り舞台検証フテンマ」

                         琉球新報政治部 内間健友

 今回、メディア・アンビシャス主催の「メディア賞」をいただけることが決まり、大変驚いているとともに、非常に光栄に感じております。評価してくださり、本当にありがとうございます。

 「日米廻り舞台 フテンマ検証」は、1996年に日米両政府間で返還が合意されながら、県内移設が条件とされたことで、18年も返還が実現していない米軍普天間飛行場の問題をテーマとしています。2009年9月に発足した鳩山民主党政権は、歴代の政権で初めて県外移設を模索する方針を明確に示しましたが、そのわずか8カ月後にあっさり断念し、名護市辺野古移設に回帰しました。

 その理由に政府は、県外移設を模索したが、アジアの軍事情勢を勘案した結果、沖縄県内へ移設せざるを得ないと説明しました。しかし、沖縄に駐留する米4軍(陸軍、空軍、海軍、海兵隊)のうち海兵隊が本当に「抑止力」として必要か、普天間飛行場の移設先が必ず県内でなければならないのか、日米の専門家の間でも異論が出ている状況です。民主党政権下の防衛相、森本敏氏は在任中に海兵隊を沖縄に置く理由について、軍事的ではなく政治的な理由と明言しました。

 県内移設でなければならない明確な理由が見えない中、普天間飛行場の県外・国外移設を阻むものは何なのか。沖縄県民の大半が県内移設に強く反対する中、米国内の深層にある意見はどういうものなのか、あらためて検証する必要があると考え、この企画に取りかかりました。

 現在、連載はまだ継続中ですが、期間中に仲井真弘多県知事が普天間飛行場の辺野古移設に向けた公有水面埋立法に基づく埋め立て申請を承認するなど、普天間移設問題は事態が動いており、その裏側も含め取材を進めているところです。

 普天間問題を解決に向かわせるのは、全国の世論の高まりが極めて重要だと考えております。問題の深層を深掘りし、それを全国に発信すべきだと強く意識している時に、まさに、沖縄から離れた北海道の方々から賞をいただけると聞き、感謝と感激でいっぱいです。

 全国に問題の関心を持ってもらうには、沖縄側が沖縄問題だけを訴えていくのではなく、私たちが全国の別の問題ともしっかり向き合い、共通項を見つけながら連携して世論に訴える必要性を感じています。私たちも北海道の問題を共有し、皆様も沖縄の問題に引き続き高い関心を持っていただけましたら大変ありがたいです。メディア賞の授与、本当にありがとうございました。

▽アンビシャス賞:朝日新聞「限界にっぽん」の「第2部・雇用と成長」と「第4部・続『追い出し部屋』」など

                           朝日新聞経済部 次長 丸石 伸一

 私たちが雇用の問題を取材テーマの一つに据えて動きだしたのは2012年夏、ちょうどパナソニックやシャープなどの大規模リストラが本格化したころでした。ある記者は数カ月にわたって人減らしの対象になった人々を訪ね歩き、別の記者は若者たちが集まる賃貸住宅に住み込み、深夜から早朝の街を毎日歩き回りました。

 そこで浮かび上がってきたのが、「追い出し部屋」や「マクド難民」でした。かつて「勝ち組」とされた大企業の正社員までが「部屋」に集められて解雇の憂き目にあい、非正規の職すら失った若者たちは眠る場所すら確保できずマクドナルドなど深夜営業の店を渡り歩いていました。

 雇用の底流を追い、企業の「人減らし」の実態を明らかにする取材には時間がかかりましたが、記者たちはひるむことなく企業の「暗部」に切り込んで新たな事実を次々と掘り起こし、実名報道に徹しました。

 今回このような賞をいただけたのは、こうした私たちの取材姿勢へのご支援だと受け止めています。これを励みにして、今後も現場に分け入り、新たな事実を掘り起こす調査報道を続けていきたいと思います。ありがとうございました。

▽入選

○朝日新聞「原発利権を追う」

                      朝日新聞取材班代表 市田隆

 原発関連施設の立地に絡む水面下の資金の流れを長年追い続け、結実したのが「原発利権を追う」の連載記事です。

 これまで裏仕事に従事した人々の間で保秘が徹底し、真相に迫れずにいましたが、福島第一原発の事故後、「福島の人々が苦しんでいる中、これ以上、ウソはつきたくない」と口を開く人が出始めました。また、約10年間で30人の記者が蓄積してきた膨大な取材記録がありました。

 今回、特別報道部の記者5人がこれらの情報を元に取材し、ゼネコン関係者らから新たな重要な証言や資料を得ることが出来ました。原発利権という「巨大な壁」の一端を突き崩して報道出来たのは、持続力、チーム力を持つ「組織ジャーナリズム」の強さが発揮されたからだと思います。

 事故後、電力各社は原発の再稼働を目指していますが、原発にかかる裏のコストの実態は隠したままです。さらに調査報道を続けたいと考えています。

○特定秘密保護法に関する朝日新聞12月3、6日の社会ワイド面を中心に

                朝日新聞東京本社社会部次長 豊秀一

特定秘密保護法案が抱える問題点を有識者に尋ねる企画「異議あり 特定秘密保護法」を1面でスタートしたのは、11月22日でした。広がる各界の反対の声に全く耳を貸さず、成立へと突き進む安倍政権に危機感を覚え、1面で毎日インタビューを掲載することになりました。取材には、社会、政治、経済、文化くらし、科学医療の各部のほか、大阪や名古屋の他本社の記者が参加し、「オール朝日」で取り組みました。

社会面を1ページ全部つぶして「異議あり」の特集をしたのは、12月3日。法案が成立する3日前でした。法律が拡大解釈され、民主主義の基盤が掘り崩されかねない危うさを少しでも多くの読者に伝えたい、という思いからでした。12月5日には怒号が飛び交う中、参院で与党は法案の強行採決をします。翌6日付社会面で「成立を急ぐ前に、私たちの声を聞いてほしい」という市民の声を国会に届けようと、1ページをつぶして「声特集」にしました。各地の総局の若い記者も取材にあたりました。

 法律は成立しました。「新聞の取り組みが遅かった」という批判を忸怩たる思いで受け止めています。この法律が悪用されないよう監視を続けると同時に、政府の秘密を暴き、市民に伝える作業を続けることが新聞の信頼を回復する道なのだと思っています。

○特定秘密保護法に絡む毎日新聞道内面の一連の記事

                毎日新聞北海道報道部 記者 伊藤直孝

 このたびは入選のご連絡をいただき、ありがとうございました。スクープでも、特集でもない一般記事の連なりを評価していただき、大変励みになります。感謝申し上げます。

 北海道大学生が戦前の軍機保護法違反容疑で逮捕された「レーン・宮沢事件」の取材を進める中で、似た法律として秘密保護法の存在を知り、必要な法律なのか、さまざまな方の意見を聞きたいと取材を始めました。

 取材を重ねる中で感じたのは「知る権利」を守るよう声を上げてくれた市民の皆さんのありがたさです。報道機関が、政府の秘密やうそを明らかにする存在としてまだ一定の信頼が寄せられていることを実感し、心強い思いがしました。

 軍機保護法は戦況悪化とともに拡大解釈され、外国人らを「予防拘禁」する手段に悪用されるに至りました。現状の秘密保護法が市民に牙をむく事態は想定しにくいですが、法の改正は制定よりずっと容易です。行く末を見守り、記事を書き続けたいと思います。

○毎日新聞「生きる物語 硬骨のドン・キホーテ」

                  毎日新聞社会部記者 萩尾信也

「世の中、ウソと欺まんが横行している。なのに見て見ぬふりをして、『おかしい』と声を上げなかったら、ウソに荷担しているのと同じだよ」。第1次安倍政権下の防衛庁長官が「原爆しょうがない」発言で辞任した2007年、山口県柳井市のご自宅を訪ねた折りの福島菊次郎さんの言葉である。広島の被爆地を起点に、カメラとペンを武器に「権力のウソ」を暴き続けてきた社会派の報道写真家。大正生まれの先達の原点には、「忠君愛国」の名のもとに人々を死に追いやった権力への憤りと、それを盲信してきたことへの自責の念があった。そして特定機密保護法案が成立し、集団的自衛権や憲法改正への動きが加速する第2次安倍政権下で、福島さんの一徹なる生き様にいま一度触れながら、時代を見据えた言葉をかみしめる。「ジャーナリストたるもの、知る権利や報道の自由を声高に叫ぶのもいいが、いま問われているのは権力に屈せぬ覚悟があるかどうかだ」

【映像部門】

▽メディア・アンビシャス大賞:NHK「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸」

                NHK静岡放送局 ディレクター 奥秋 聡

「海水中に放出された放射性物質は潮流に流され拡散するので、魚や海草などの海洋生物に取り込まれるまでには相当程度薄まる。」2011年3月末福島第一原発から海洋に汚染水が放出された時の原子力安全・保安院の発言です。私はそれを聞いた時、疑念を持ちながらも、過去に経験したことがないことだから否定することもできないなと思っていました。その後、番組に登場する調査船、俊鶻丸の存在を知り、考えが大きく変わりました。日本の科学者は60年も前に海の放射能汚染の影響が地球規模であること明らかにしていたのです。なぜこれほど大事なことが引き継がれなかったのか。それを知りたくて番組を制作しました。

 この度は市民の立場に立った番組として評価していただいたことが何より光栄です。市民が過去の経験から学び未来を考えることができる社会であって欲しいと強く思っております。今後もそのことに少しでも貢献できるような番組を制作していきたいです。

▽メディア賞: テレビ朝日「原発と原爆~日本の原子力とアメリカの影」

                 テレビ朝日報道局ディレクター 後藤那穂子 

この度は名誉な賞を頂き光栄に思っています。有り難うございました。あの日、誰しもが疑問をもったヘリコプターによる放水。一体なぜ自衛隊はそのような作戦に駆り立てられていったのか― 出発点はそこでした。 

官邸首脳たちは何を恥じることもなくヘリ放水はシンボルだったと吐露する。「命がけで行く隊員がいるから 口には出せないけど」。この言葉が重く心に響きました。

アメリカに十字架を背負わされ、何も知らされずに命をかけた現場。それは、戦後からアメリカの核政策に翻弄され続けた日本の姿と、日米同盟の枠組みを超えた力関係の象徴のように映りました。

日米関係というシビアな問題に口を閉ざす人も多く、取材を断られたことは数知れません。細野豪志氏は「やり方を間違えると歴史を60年以上前に戻すことになりかねない」。そう述べましたが、きょう、今この瞬間、果たして日本の戦後は終わっているのでしょうか―?今回の受賞を糧にして、今後も問い続けていきたいと思います。 

▽アンビシャス賞:NHK「僕は忘れない~瀬戸内ハンセン病療養所の島」

             NHK制作局文化・福祉番組部ディレクター 猪瀬美樹

 この度は、素敵な賞に選んでいただきありがとうございました。大島の取材を始めて

11年になります。2007年に「忘れないで ~瀬戸内 ハンセン病療養所の島~」を制作し、今回はその続編です。再び島と向き合う中で、大切なのは《繰り返し見つめること》、

《見つめ続けること》だと思いました。主人公の昂生くん(18歳)は、入所者の方たちに解剖台の聞き取りを行う過程で、自分が「小学生の頃に海岸に捨てられた解剖台を見ていたこと」を思い出しました。当時は知識も視点も十分でなかったため、異形の塊を目にしていたものの通り過ごしていたのです。しかし、18歳の視点で再び解剖台を《見つめ直す》ことで、そこに刻まれた数十年という時間の積み重なりを感じ、伝えられるまでに成長していきます。私も、同じような体験をしました。それは、療養所の納骨堂に納められる骨壺についてです。今回の番組では、長年お付き合いをしてきた入所者で、陶芸家の山本隆久さんの人生の決着の付け方と対峙したいと考え、島の土で骨壺を作る姿を撮影させていただきました。その時初めて、大島独特の“小さな骨壺”の意味と山本さんの心の奥底に秘められていた想いを知りました。私から少し遠い場所にあった骨壺が、鋭い痛みと優しい色彩を伴って、心と映像に刻まれた瞬間でした。今回の受賞で「まだ続けていいんだよ」と皆さんに背中を押していただき、勇気づけられました。


▽入選:

○NHK「核のゴミはどこへ ~検証・使用済み核燃料」

        NHK報道番組センター社会番組部チーフ・プロデューサー  高倉基也

 原発事故のさなか、自衛隊のヘリによる放水活動が行われた使用済み核燃料の貯蔵プール。なぜ、使用済み核燃料が建屋内に貯蔵されなければならないのか。その素人的な疑問が、この番組の出発点でした。

 私たちは当初、使用済み核燃料は、原発、再処理工場に貯められ、核のゴミは行き場がないというおかしな状況が、何の検証もされずにきたのではないかと思っていました。

しかし、取材を進めていくと、「このままではまずい」と考えている人たちが、実は国の側にも、電力会社の側にもいたにも関わらず、様々な利害関係を前に思考停止が起き、それが積み重なって、ここまで来た事が分かってきました。

この番組は、安倍政権が誕生し、「再稼働」という言葉が再び多く聞かれ始めた中での放送となりました。「再稼働」とこの「使用済み核燃料と核のゴミ」の問題を、私たちの社会は本気で関連づけて考えなければいけない。

知れば知る程、思いを強くしていった制作スタッフの志が今回、評価されたのだとしたら、非常に大きな喜びです。

○静岡放送「死の棘~じん肺と戦い続ける医師」

                     静岡放送報道局情報センター 濱田彩華

 夜明け前から車が並ぶ、東京・芝の診療所。車の中で高齢のじん肺患者たちが身を寄せ合っている姿は衝撃的でした。家族の前で病気の話はしたくない、だからせめて診察日には患者同士集まって他愛もない話をして慰めあっているのだと、患者の一人が教えてくれました。じん肺患者の抱える不安の大きさと、弱者を切り捨ててきた社会の無情を感じました。

かつて鉱山で栄えた浜松市天竜区佐久間町の村。36年前、この村で鉱山のじん肺患者に出会った先輩ディレクターの足跡を追って取材は始まりました。そのフィルム映像の中で患者の治療に打ち込んでいた海老原勇医師。白髪になった今でも、一週間を半分に分け浜松と東京の診療所を行き来しています。その姿に感銘を受けるとともに、じん肺が決して過去の惨禍ではないことを学びました。

今回の受賞を機に、もっと多くの人にじん肺について知ってもらえたら、少しでも対策が進んでくれたらと願っています。

○NTV「チェルノブイリから福島へ~未来への答案」

           NTV報道局NNNドキュメント、ディレクター 加藤 就一

爆発した原発の廃炉は壊れていない原発の廃炉と比べ遙かに難しい。しかし福島第一の廃炉への進捗具合を見るとお粗末にしかみえない。

そんな時、チェルノブイリには廃炉作業員の訓練所があり、ライセンスを得た者だけが廃炉に携われる事を知った。訓練所の取材に向かったが、現地で様々な想定外な事が。

爆発し27年経った今も新シェルターで包み隠そうとするだけで廃炉は全く進んでいない事、27年経っても原発を保守するのに毎日数千人が通勤列車でチェルノブイリに通勤している事、しかも24時間体制で。

現地に着いてから取材許可が下りた爆発した4号機の中央制御室の惨状と、捨てられた町プリピヤチを見ると福島の27年先とピタリ重なる事、27年経っても脱出した故郷に帰れない人々の「福島の人、帰れると思わないで」というつぶやき…それらの映像は見えない放射能の恐ろしさや脅威をまさしく可視化できた。

編集しOA(放送)した形は取材に出発する前と全く違ったものになった。

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