2016年受賞の言葉

【活字部門】

〇大賞 「原発会計を問う」北海道新聞 11月27日―12月2日の記事と連載

           北海道新聞社報道センター 記者 関口裕士

恥かきますよ」をはねのけ、「事実」を掘り下げる

 「それってニュースになるんですか?」「既に公表している数字ですよ」「そんなの大きく記事にしたら、関口さんが恥をかくことになりますよ」

 今回大賞を頂いた「原発会計」を巡る一連の記事で、最初に書いたのが「原発賠償 道民195億円負担」という記事でした。紙面に載る直前まで、北海道電力の広報担当者から、何度も何度も言われました。「恥かきますよ」と。

 東京電力福島第1原発事故の賠償費用として、過去3年間で北電が毎年65億 円ずつ計195億円を負担した事実は、確かに各年度の北電の有価証券報告書をよく見れば「公表」されています。でも、その事実にどれだけの読者が気づいているか、しかも、全額を電気料金に上乗せして徴収していることを知っている か。そう考えて、あえてニュースにしました。

 読者からは「知らなかった」「よく書いてくれた」と予想を上回る反響がありました。書いてよかったと思いました。

 原子力の取材を長く続けていて感じるのは、国や電力会社は自分たちに都合の悪いことは話さないということです。大量の情報が公開され、多くの言葉を弄した説明も行われますが、取材する側が気づかなければ、埋もれたままになる事実 がまだまだありそうです。

 「195億円負担」のニュースを書いた後、原発会計見直しの全体像を示す1ページ特集と会計などの専門家へのインタビューを連載しました。難解な仕組みや専門用語をかみ砕いて説明することに腐心しました。幸い、数字などの間違いもなく、専門家を含め多くの方から「分かりやすい」と評価していただきました。

 北電の担当者が心配してくれたような恥をかかずに済んだうえ、このような賞まで頂いて光栄です。これを励みにまた頑張ります。ありがとうございました。

テキスト ボックス: 2016年選考経過【活字部門概況】24本の記事のエントリーがあり、12月25日に第1次審査をおこない、広告的なものなど、過去のケースを参考に当初から審査対象を外れるものを除いて選考しました。その結果、大賞には、北海道新聞が11月27日から12月初めにかけて掲載した「原発会計を問う」た一連の報道と連載記事が選ばれました。電気料金に組み込まれる原発会計の問題点を鋭く抉り出し、専門家の意見を加えて易しく解説しており、読者として啓発されることが多かったと評価されました。

〇メディア賞  「憲法を考える 自民改憲草案」朝日新聞 3月から6月中旬に連載

             朝日新聞東京本社「憲法取材班」

「キモチワルさ」を記者個人の言葉で表す

 自分の言葉で書く。

自民党の憲法改正草案を読み解くという連載企画を進めるにあたって、まず念頭に置いたのはこのことでした。なぜか。草案の問題点については、朝日新聞もさまざま指摘してきましたが、どうも読者に届いていないと思えたからです。

草案を一読しての私の感想は、ひとことで言えば「キモチワルイ」。誠に直感的かつ非論理的です。でも、それを脇において、憲法学的見地や立憲主義の観点からもっともらしく批評しても、この草案のキモチワルさは伝わらない。ならば、論理ではなく、記者個人の違和を言葉にし、まっすぐに読者に投げかけてみたいと考えたのです。

とはいえ、記者にとってはかなりの難題だったようです。「事実」と「主観」を分けろと教育されてきた、とりわけ若い世代の記者は、自分の言葉で記事を書いた経験が乏しい。そこで初回は、「私」を前面に書き続けているベテラン記者にお願いをし、「見本」を示してもらいました。それでなんとなく勘所がつかめたのか、「家族」をテーマにした記者は、憲法の男女平等規定を知って救われたという自身の経験をベースに書き、「自由」をテーマにした記者は、丸刈りが嫌で公立中学に進学しないと決めた時の気持ちを草案を読んで思い出し、そこから書き起こしました。

巧拙はともかく、それぞれ、その記者にしか書けない1本にはなったと思います。ただ、社内の視線は当たり前ですが、あたたかいものばかりではありません。「私」で書くことへの抵抗感は拭いがたくある。だからこそ今回、賞を頂いたこと、読んで評価してくださる人がいたということがとてもうれしく、大いに励まされました。ありがとうございます。市民のみなさんの叱咤と激励が、記者にとって何よりの「栄養」です。これからも、読み、励まし、叱ってください。よろしくお願い致します。(政治部次長 高橋純子記)

〇アンビシャス賞  南スーダン派遣をめぐる「国防ニッポンのリアル」

                       サンデー毎日12月4日、同11日号

                毎日新聞東京本社社会部編集委員 滝野隆浩

<撃つ/撃たれる>を自分の問題として論議を

 市民の側に立ち、市民のための記事を顕彰する「アンビシャス賞」に選んでいただきありがとうございます。私は防衛大学校を卒業した記者です。そういう経歴から自衛隊に関しては悩みつつ書いている身としては、一定の評価をいただいたことを大変うれしく思っています。

 受賞対象となったのは週刊誌「サンデー毎日」に昨年12月に掲載された「国防ニッポンのリアル」という連載です。南スーダンに派遣されている陸自部隊に安倍政権が付与した新しい「駆け付け警護」任務が、現場に、そして自衛隊全体にもたらす影響について考えました。政府は「リスクは高まらない」と言い続けますが、新任務は間違いなく「撃つ/撃たれる」というリアルな現実を現場に突きつけます。だとしたら、その対処はできているのかと、記事で問いかけました。

 具体的にはまず、戦場における救急救命医療体制です。いま現地でどんな武器が使われ、どんな要因で兵士やNGOスタッフが死傷しているのか。その緻密な分析のうえで救命用具が選定され、後送・救命体制の整備が必要となってくるはずですが、専門家は「絶望的に遅れている」と指摘します。現場にも「このままじゃヤバい」という危機感はありますが、その声は政府には届きません。

 創設以来、「憲法違反」と批判されてきた自衛隊は「沈黙」してきました。もの言えば唇寒しの状況は、内閣府の世論調査で9割以上の人が「自衛隊に好印象を持つ」という今も続いています。それは最近、派遣部隊の日報の「戦闘」とあった記述が、国会では「衝突」と言い換えられたことに通底します。隊員たちは見たものをそのまま報告してはならないのです。だから沈黙し続けます。

 <撃つ/撃たれる>という極限状況が人間に与える深刻な影響については、米軍関係者の研究で明らかです。日本から遠く離れたアフリカで、銃の使用を厳しく制限されたまま救命体制もおぼつかない中で現場に立つ隊員のことを、私は思います。

 ただ自衛隊を称揚することも、揚げ足取りの批判も、問題の本質には迫れないと思います。互いの声を無視して賛否を言い合うのではなく、現場や家族の悩みを誠実に聞きながら、多くの人が自衛隊のあり方を「自分の問題」として考えることが、いまいちばん必要だと痛感しています。

〇アンビシャス賞  「オスプレイ墜落」の現場写真とレポート

                   沖縄タイムス12月14,15日

           沖縄タイムス北部支社北部報道部記者 伊集(いじゅ)竜太郎

墜落情報も現場案内も住民に助けられて

 今回の受賞には、甚だ恐縮しているというのが率直な気持ちです。ありがとうございます。

 沖縄では米軍ヘリが飛行ルートを守らず、夜間も民間地上空を低空で旋回し、時に100デシベル(電車通過時の線路脇に相当)の騒音をまき散らして住民に睡眠妨害などの被害を与える状況が恒常的に起きています。今回の墜落現場の取材は、その延長線上で発生しました。

 端緒は、私の所属する北部支社に午後10時すぎ、住民から「米軍ヘリが集落を旋回していてうるさい」との連絡があったことでした。電話を取った同僚の西江千尋記者が現場に向かいました。私は別の場所で、米軍ヘリの住宅地での夜間訓練を取材していました。現場にいた西江が私に「ヘリが海上でライトを照らして旋回している。訓練ではないかも」と連絡してきたことが、今回の報道につながりました。

 現場にいた私たちは、当初はオスプレイが落ちたことは知りませんでした。もちろん連絡してきた人を含めた地元住民もです。ヘリがライトを照らす場所の近くへ私が行くために、月夜の明かりしかない暗闇の岩場を、浜にいた住民が懐中電灯で照らして途中まで案内して頂きました。

 墜落翌日、常日頃米軍ヘリの騒音被害などを受ける住民から何件も電話がありました。誰もが「私たちの地域で起きていてもおかしくなかった」と話していました。これが沖縄の現実です。

 余談ですが、結果的に私が墜落したオスプレイの第一発見者になり、弊社のホームページで速報として写真入りでアップしていました。後日、ある現場で会った防衛省関係者は「私たちもあの時オスプレイのある場所は知らなかった。どうやって分かったの?」と聞かれました。撮影時間は事故発生から3時間後。ホームページへのアップもさらに時間がたっており、防衛省は少なくとも発生から3時間以上たっても詳細は把握できていなかったことになります。とても危うさを感じました。

 受賞後は、相当な数の電話やメールを頂き、取材先でお会いする方々からも祝福と激励を受けました。新聞の果たす役割をあらためて肌で感じる機会になりました。

〇入選 憲法70年第3部「壊憲のゆくえ」北海道新聞9月5日―11日 5回連載

            北海道新聞報道センター編集委員 斎藤正明

                         同  楢木野寛

「壊憲」の進む生活現場に驚きと危機感

 日本国憲法の公布から70年になる2016年11月に向けて、昨年4月にシリーズ連載「憲法70年」を始めました。「『壊憲』のゆくえ」は9月に掲載した第3部です。

 取材の取っかかりは、自民党が2012年に発表した憲法改正草案でした。その内容は現行憲法の人権尊重や平和主義をことごとく否定し、国家主義を前面に打ち出しています。憲法を壊す行為とも言えます。

 これらの問題点を現実社会に結びつけて書けないだろうか。そう考えているうちに、自民草案の内容を先取りするような動きが、すでに進んでいることが浮かんできました。それらの事象を追うことで、「壊憲」の動きに警鐘を鳴らすことを狙ったのです。

 連載で扱った雇用環境の悪化や、監視社会の進行、生活保護受給者への締め付けは、人権尊重をないがしろにしています。教育現場への圧力は、国家主義の押しつけです。取材を通じて、この国の社会が大きく変化してきたことを、あらためて痛感させられました。

 読者からの反響は予想以上でした。定期的に意見を寄せていただく「紙面モニター」の方々からは、ハローワークや教育現場の実態に衝撃を受けたとか、生活保護と憲法の関係を考えさせられたなど、多くの意見が寄せられました。各回のテーマに合わせるエピソード探しの苦労も吹き飛びました。

 昨年12月に第5部を掲載した「憲法70年」は、春に再開します。5月の施行70年に向けて数部を予定し、取材を進めているところです。国会で進む改憲の動きをどのように考えていけばよいのか、そのヒントになるような記事を作りたいと考えています。(斎藤記)

【映像部門】

〇大賞  NHKスペシャル「村人は満州へ送られた 〜〝国策〟71年目の真実〜」8月14日

         NHK名古屋放送局 報道番組チーフ・プロデューサー  加藤謙介

                           プロデューサー  森田 超

テキスト ボックス: 2016年選考経過【映像部門概況】推薦数は42本に上りました。国外テレビ局の作品など過去の選考事例などから9本を除いて33本を選考対象としました。上映は計17本と、例会時の鑑賞分を加えて20本近くに上りました。視聴していることを条件にした投票及び審査の結果、大賞はNHKスペシャル「村人は満州へ送られた ~“国策”71年目の真実~」(8月14日放送)と決まりました。長野県の寒村から満州へ送り出された村民の悲惨、戦後自殺した村長の苦悩などを淡々と描いたドキュメントです。作品はいったん決まった「国策」という流れを押しとどめることの難しさを浮き彫りにし、現在的な課題として通底していました。

〇メディア賞  NHKスペシャル「私は家族を殺した〜〝介護殺人〟当事者たちの告白〜」4月9日

            NHK報道局社会番組部“介護殺人”取材班

“当事者”取材にこだわり、共感生み出す

 このような賞をいただき、大変光栄に思っています。私は長らくクローズアップ現代の制作にかかわってきたのですが、メディア・アンビシャスの代表をつとめておられる山口二郎先生には、何度も出演いただいております。その山口先生から、高い評価をいただけるというのは、まさに「先生に褒められた生徒」ような、心弾む思いがあります。

今回の番組については、私自身、作り手として多少のプレッシャーがありました。というのも、NHKには「介護殺人」を扱った名作があるからです。1991年に放送された「二人だけで生きたかった ~老夫婦心中事件の周辺~」という番組で、妻の認知症をきっかけに死の旅に出た老夫婦の足取りを丹念に追った調査報道です。夫は、工場に勤めていた実直な方で、旅に出てからも心中を躊躇っていた形跡が浮かび上がり、それでも死を選ばざるを得なかったという結末に、胸を締め付けられます。これは、いまから26年前の作品です。つまり、「介護殺人」は古くて新しい問題なのです。それを現代の問題として位置づけ直しながら、この番組のように視聴者の心に届くようにするためにはどうすればいいのか。悩んだわけです。

取材と同時並行で、記者やディレクターと何度も議論を交わしました。現代の問題として位置づけ直すこと自体は、それほど難しい課題とは思われませんでした。2000年に、社会全体で介護を支え合おうという介護保険制度が始まった一方で、「老老介護」「介護離職」「多重介護」などの問題が顕在化したことに見られるように、家族に負担が重くのしかかる現実は変わらず、それが「介護殺人」につながっているからです。困難なのは、「視聴者の心に届く」という部分でした。

介護に関する様々なデータから迫れないかとか、追い詰められる介護者の姿を脳科学から迫れないかとか、いろいろな選択肢がありました。しかし私はアナログな人間なので、データやサイエンスで心を動かされることがあまりありません。サイエンスは大好きです。しかし、ヨハネス・ケプラーが何を発見したかよりも、彼には観測データ欲しさに人を殺していたという疑いがあるのですが、そちらの方に関心がある。「介護殺人」も、連れ合いや親を殺害するに至るまで、どのように追い詰められてしまうのか、その手触り、画面や証言からにおいが漂ってくるような、ディテールを知りたいと思いました。それで、徹底的に“当事者”の取材にこだわろうと考え、担当者に取材をお願いしたのです。

ただこれは、大変な困難を現場に強いることになりました。「介護殺人」の“当事者”とはつまり、受刑者や執行猶予中の方です。普通に考えれば、取材に応じてくれる訳がありません。ほとんどの方は、会話さえしてもらえませんし、怒鳴られたこともあったといいます。それでも何度も足を運んで“当事者”と関係を築き、カメラを向けることに同意していただきました。こうして得られた証言のVTRを編集室で見たときの衝撃は、忘れられません。取材方針は一種の賭けでしたが、現場の記者やディレクターは真正面から取り組み、結実させました。

放送後、大変な反響がありました。実は「介護殺人を肯定しているのか」といった批判がたくさん寄せられるのではないかと心配していたのですが、綴られていたのは「他人事ではない」という切実な思いがほとんどでした。予想外だったのは「追い詰められているのは自分だけではないと分かってほっとした」という感想でした。それぐらい、多くの人が苦しんでいて、それを共有したり、支えあったりする社会的基盤が乏しいということなのだと思います。

一方で、「解決策がまったく示されていない」というお叱りもいただきました。こうしたご批判は覚悟していたこととはいえ、重く受け止めなければいけないと考えています。「介護殺人」を少しでも減らすためにどうすればいいのか、そのための取材を、これからも続けていかなければいけません。今回の賞に背中を押されて、頑張って参りたいと思います。(チーフ・プロデューサー 横井秀信記)

〇アンビシャス賞・Eテレ・バリバラ「検証!『障害者×感動』の方程式」8月28日 

          NHK大阪放送局制作部 チーフ・プロデューサー 真野  修一

〝志〟に立ち返って、多様性を提起

このたびは、このような賞をいただき誠にありがとうございます。また受賞に伺えず申し訳ございません。

この『検証!「障害者×感動」の方程式』の回は、「バリバラ」という番組の原点とも言える志を、改めて世に問い直した企画です。

HP(ホーム・ページ)の片隅でしか告知もしていないこの回が、これほどまでに大きな話題となるとは全く思ってもいませんでした。それでも放送前から、その後まで、様々なメディアから取材をいただいたり、ネット上を中心に議論が交わされたことは、番組の演出ということを超えて、「メディアが作為的に感動的なものを作り上げたり、押し付けたりしているのではないか」という世間の懐疑的な目が強まっている現れだと感じました。

また、ネット上で“まとめ”が作られ消費される一方で、その話題性とは逆に、(視聴率は微動だにせず)肝心の番組はあまり見られず、放送中に伝えていた真意が思ったようには伝わっていない状況があるようにも感じ、ネットとテレビの間にある溝も実感した企画でした。

よく対立構造や、感動か笑いかといった極論で議論されがちですが、もちろん「感動」は悪くないですし、障害者について理解を深め伝えていく際に、メディア側の描き方に多様性がないことを、自省を込めて問題提起したまでです。

福祉番組以外の例えばドラマの中で、特に役割のない一般の通行人に障害者がいるような番組はまず見たことがないというのが現状です。

今度も、「バリバラ」では、当事者の目線・立場に立って本音のコミュニケーションをしていくことに立脚し、視聴者をドキっとさせ考えもらう、そんな企画を出し続けていきたいと考えております。

〇入選(4作品)

・NHKスペシャル 「決断なき原爆投下 ~米大統領71年目の真実~」8月6日 

     NHK広島放送局 報道番組チーフ・プロデューサー 高倉 基也

                     ディレクター     葛城 豪 

〝定説〟覆す過程で、未知の事実に驚き

このたびは、たいへんな名誉ある賞をいただきスタッフ一同、嬉しく感じております。

今回の番組は、1年の期間をかけてトルーマン政権と軍との関係をめぐる資料を探しては読み込むと共に、徹底して関係者の証言を集めました。中でも軍が保管していたグローブス将軍のインタビューテープは、初めて外部に公開された貴重な資料でした。

アメリカでは長い間、原爆投下については“トルーマン大統領による決定であったという暗黙の仮定”の上に依拠した研究が行われていました。ところが、戦後70年の年に、アメリカで行われたトルーマンの業績を考えるシンポジウムで、原爆投下の経緯を研究する歴史学者から、“原爆投下の明確な決定はなかったのではないか”という指摘が行われました。「あらゆる資料を読んでもトルーマンが原爆投下の明確な決断(原爆を投下するメリットやデメリットを考慮した上で自主的に意思を示すこと)をしたことを示す資料が見つからなかった」というのです。

アメリカでは今も、「原爆投下はトルーマン大統領が多くの米兵の命を救うために決断した」という定説が、市民の間で根強く支持されています。そうした重大な意思決定が実際にはなかったとしたら、どのように原爆投下の意思決定が行われたのか。その疑問を解こうと、取材を開始すると、これまで知らなかった事実が次々と明らかになっていきました。

これまでの“常識”にいわば異を唱える内容ですので、放送には大変な緊張感をもって臨みました。しかし、ひとたび人類が強力な兵器を手にしたとき、いったい何が起きるのか、今回私たちが知り得たことをどうしても伝えなければならないと思いました。

このような形で評価を頂けましたことは、今後の広島での番組制作に大いなる励みとなります。本当にありがとうございました。

報道ステーション「独ワイマール憲法の〝教訓〟 なぜ独裁が生まれたのか」テレビ朝日(HTB)

3月18日

       テレビ朝日・報道ステーションプロデューサー 秦 聖浩

スタッフの熱量が伝わるテレビ画面

 この度は私どもの特集を選考いただき誠にありがとうございます。

1919年制定されたドイツのワイマール憲法。当時、最も民主的だとされた憲法でしたが、それに盛り込まれた「非常権限―大統領大権」をもとに1930年代ヒトラーがいくつもの大統領緊急令を出すなど濫用し、国民の基本的人権が大幅に制限され、ナチ独裁の道につながりました。

この企画は、日本でも「憲法改正」が現実味を帯びてくるなか、80年前にワイマール憲法が、何をもたらしたのか。専門家や当時の映像、末裔たちの証言を交えながら、古舘伊知郎キャスターがドイツ・ワイマールの地から語りあげるというものでした。

 ロケは1泊3日。もちろん専門家の事前取材などはディレクターが行い、東京で綿密な構成を作りあげて臨んだドイツロケでしたが、古舘キャスターはワイマールの街で見事にストーリーを語りあげてくれました。

 テレビとしては正直難しいテーマでしたが、綿密な取材と街頭での語りという手法は斬新だと思えましたし、何より伝えたいという作り手の熱が表れた特集になったと思います。

 テレビという媒体は不思議なもので、出演者や制作者が持っている熱量というものが画面を通じて伝わると感じることがあります。

この特集はその最たるものだったと思います。

今後とも熱量をもって日々のニュースを伝えていきたいと考えています。

・NNNドキュメント「知られざる被爆米兵 ヒロシマの墓標は語る〜」広島テレビ(STV)8月1日

             広島テレビ放送 報道部  加藤紗千子

もれた事実の取材に鳥肌立つ

この度は、名誉ある賞をいただき感謝申し上げます。市民団体のみなさまに選んでいただけたことをとても嬉しく思います。

 取材は2年前、1冊の本との出会いから始まりました。森重昭さんの著書「原爆で死んだ米兵秘史」。森さんは被爆した米兵が12人いた真実を掘り起こし、慰霊の銘板を自費で作り上げました。森さんが大切に持っていた1枚の写真があります。そこに写るのは焼け野原に建つ、2つの「墓標」。うっすらと、被爆死した2人の米兵の名前がローマ字で書かれていました。広島の憲兵が2人を埋葬し、その証拠として写真を撮ったそうです。はたして遺族は、この埋葬された事実を知っているのか?写真のコピーをもって、アメリカ・ケンタッキー州へ向かいました。

遺族のラルフさんのもとには、ほとんど情報がもたらされていませんでした。原爆によって亡くなったことを知らされるまでに30年を要したと言います。コピーを見せると、涙ぐみ、私たちのカメラに向かって語り始めました。「日本のみなさま。埋葬してくださり、ありがとうございます…」。70年の歳月を経て遺族にもたらすことができた

知られざる最期。この時、取材がもつ不思議な力を感じ、鳥肌が立つ思いでした。

そしてもう一つ、忘れられない出会いがあります。マサチューセッツ州に住む遺族、コニーさんと会った時のこと。「自国が開発した原爆によって、兄を亡くしたことをどう思いますか」。おそるおそる聞いた質問に、答えは「ノーコメント」。彼女の中では、まだ戦争は終わっていなかったのです。

被爆米兵は「たった」12人かもしれません。しかし、遠く離れたアメリカで祈り続ける遺族や友人が今もいるという紛れもない事実を目の当たりにし、この事実は埋もれたままではいけないと思うようになりました。

被爆から71年の歳月が流れましたが、地元にはまだまだ伝えなければならない埋もれた歴史があることを実感。「語り継ぐ」という、ローカル局の大切な使命を再認識いたしました。

・「戦争とは〜記者たちの眼差し 戦後71年の開戦の日に〜」TBS(HBC)12月26日

         番組プロヂューサー・統括・構成  

          TBSテレビ報道局編集部記者兼キャスター  佐古 忠彦

者の語りで「伝える」原点を確認

当番組は、2011年の東日本大震災で、記者たちが現場で取材した思いをそのまま報告できないか、という発想から生まれた独自のスタイルです。

  記者自身が8分間の持ち時間を自由に使いながら、自らの言葉で語ります。

この「記者たちの眼差し」は、東日本大震災の後、8回放送しましたが、 戦争に関する取材に初めて試みたのが2012年の夏でした。

  「8月ジャーナリズム」という言葉があるほど、夏になると戦争に関する番組が多く制作されるものの、8月15日以降は毎年、戦争に関する番組がほとんど放送されていません。

そこで、なぜ戦争に突入せねばならなかったのか、という疑問、反省から、非戦、不戦の誓いを込めて、今回あえて「開戦の日」12月8日に放送することにこだわりました。

効果音や字幕があふれる昨今、番組では記者自身が語り、音楽や字幕をなるべく抑えるつくりを目指していますが、それは、ここに「伝える」ことの原点があると思うからです。

一つ一つの作品は、独立したものですが、これをテーマごと、あるいは事象が起きた時の系列などで括ると、 一本のドキュメンタリーになっている気がしています。

 一人ひとりの記者にとって、誰もが経験したことがなく、知らない「戦争」に向き合う貴重な時間になっており、その眼差しで、今後もメッセージを紡いでいけたらと考えています。

このたびはありがとうございました。

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