【活字部門】
▶大賞
問題の根深さに、早く気づけば‥
「安倍派中心に」と文鮮明氏発言録に記載
毎日新聞社デジタル報道センター記者 田中裕之
メディア・アンビシャス大賞という栄えある賞をいただき、取材班一同、大変励みになっています。
取材の始まりは、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の元信者から、教祖である文鮮明氏の問題発言を伝えるブログを知らされたことでした。韓国語で記された発言録全615巻から引用したという文氏の言葉は、日本の国益や皇室を重視する保守派との矛盾をはらんでいました。元々、政治部記者として安倍政権を取材していた私は、旧統一教会と政治との関係を明らかにする上で文氏の発言の検証は欠かせないと考えました。
発言録は日本語版がなく韓国でも絶版で、入手は困難でした。インターネット上で流出した文書を発見し、教団に取材したところ「不法転載」としながらも本物であることを認めました。社内外の専門家に報道目的の引用は韓国でも著作権法違反にならないことを確認し、報道しました。
私は韓国語が全くできません。問題発言の絞り込みに使ったのは「Papago」という自動翻訳サイトです。文氏が歴代首相に言及した回数の集計には「アドビ・アクロバット」というソフトの「高度な検索」機能を使いました。メディアを取り巻く環境が激変する中、記者は取材手法を常にアップデートする必要があると感じています。
旧統一教会の問題が長年放置されたのはメディアの責任もあります。私ももっと早く問題を指摘していれば、安倍晋三元首相の銃撃事件もなかったのではないかと悔やんでいます。事件後は各メディアで優れた報道が続いています。この流れを止めてはいけないと思います。
(受賞)デジタル報道センター記者 大野友嘉子
同 金森崇之
同 野口麗子
ソウル支局記者 坂口裕彦
同 渋江千春
▶メディア賞
2万件超のメモで再検証
連載「消えた『四島返還』」を柱とする一連の報道
北海道新聞東京報道センター部次長 渡辺玲男
ロシアのウクライナ侵攻から1年が過ぎ、日ロ関係は戦後最悪とも言われる状況が続いています。ロシアとの政治対話が途絶え、対ロ関係への関心が失われる中、名誉ある賞をいただけたことに大変感謝しています。
安倍晋三政権の対ロ外交を追った長期連載「消えた『四島返還』」に取り組んだのは、歴代最長政権を築いた安倍氏の退陣後、対ロ関係への関心が急速に失われていると感じたからでした。安倍氏は北方四島の返還を目指してきた日本政府の基本方針を2島返還へと転換した末に、交渉は行き詰まりました。「国是」の歴史的転換にもかかわらず、政治家や大手メディアに安倍対ロ外交を検証する動きは見えず、詳細な「歴史の記録」を残したいと考えました。
連載は、まず1昨年7月から「どうしん電子版」の特設サイトで公開した後に、昨年2月から北海道新聞の紙面に掲載し、その後、本を出版するという異例の形を取りました。電子版を先行させたのはこの問題を北海道内だけでなく、全国の人に知ってもらいたいという思いからの試みでした。
125回に及ぶ連載が実現できたのは、第2次安倍政権以降、日ロ交渉を最前線で追い続けてきた50人を超える歴代の担当記者たちが積み上げてきた2万件を超える情報メモのおかげでした。日々の地道な取材が、こうした賞につながったことは大変励みになります。
安倍氏が2島路線に転換したことは日本外交にとって「負の遺産」として残りますが、歴代政権で最も踏み込んだ交渉が行われたのは間違いありません。対ロ関係が冷却化している今だからこそ、安倍政権下の対ロ外交をしっかりと検証し、今後の対ロ戦略を再構築していく必要があると思います。
いくら関係が悪化しても、ロシアが隣国であることは変わりません。ロシアに隣接する北海道の地元紙として、これからも粘り強く伝え続けていくつもりです。
(受賞)東京報道センター編集委員 小林宏彰
モスクワ駐在 則定隆史
▶アンビシャス賞
「変だな」が掘り起こした権力の介入
国「拉致問題の本 充実を」/図書館の自由揺るがす
朝日新聞大阪社会部 宮崎亮
このような賞をいただき、誠に光栄です。
受賞記事は、文部科学省が全国の公立・学校図書館に「事務連絡」という名の通知を出し、拉致問題の関連本の充実を求めたという内容です。国側は「あくまで『協力依頼』だから問題ない」と言いますが、そうじゃないだろうという思いを込めて書きました。
端緒は、記者の古い知人によるSNS投稿でした。公立図書館で働く彼は「『図書館の自由』を脅かしかねない」と訴えていました。
全国各地の司書たちに取材をすると、そのうちの一人は「一見ソフトに見える通知を出す役所側も、受け取る側も、それが当たり前になってしまうのが心配」と語りました。
社会科教科書への政府見解の反映を求める検定基準の改定、道徳の教科化、日本学術会議の任命拒否問題。政府は教育・学問の現場にじわじわと介入を続けています。今回の問題は、その流れの中に位置づけられる動きだと捉えました。
記者3人で手分けして、文科省、内閣官房、図書館協会、元図書館職員の直木賞作家・篠田節子さんらにも取材をし、初報を出しました。続報では、「図書館の自由に関する宣言」と、図書館の選書に国が検閲を強めた戦前の「思想善導」を深掘りしました。
折しも、広島市教育委員会が漫画「はだしのゲン」を小3の平和教育の教材から外す、との報道があったばかりです。誰のどのような判断で決まったのか。メディアは深く取材しなければなりませんし、こうした明確な動きのみならず、文科省の「事務連絡」のようなひそかな動きにも敏感でありたいと思います。
「変だな」「気持ち悪いな」と感じたときは、その感覚を大事にし、放置しない。しっかり事実関係を詰めて、その結果を記事という形で社会に共有する。
この地道な作業こそが私たちの果たすべき役割だと意識しながら、これからも仕事を続けて参ります。
(受賞)大阪社会部 記者 田添聖史様
記者 阿部峻介様
▶優秀賞
ジャーナリストの使命を貫きたい
公害「PFOA」連載30回
報道機関Tansa リポーター 中川七海
本作を高く評価いただき、光栄に思います。
「市民の立場に寄り添い、未来を拓くものであってほしい」という本賞の理念は、本報道を通じた事態の変遷と重なります。
取材に着手した2021年春、PFOA公害の舞台である大阪・摂津で取材することの難しさを知りました。汚染源であるダイキン工業は、戦時中にやってきた大工場です。現在に至るまで、地元の雇用や暮らしを支えてきました。「ダイキンさんには世話になっとるから…」と口をつぐむ住民も少なくありませんでした。「ダイキン城下町」が築かれていたのです。
しかし連載を重ねるにつれ、地元住民の動きは変わっていきました。Tansaの記事を読んだ住民たちが「子どもたちのために声を上げるのが大人の仕事や」と、ダイキンや行政に対応を求める要望書を提出するようになりました。
現在私は、シリーズ第二部として、令和になっても繰り返される公害の構造を紐解くための取材を進めています。その一つの鍵となるのが、「傍観という名のマスコミの加害」です。汚染源がダイキンであることははっきりしているにもかかわらず、ほとんどのマスコミは「ダイキン」の名を伏せて報じるのです。それどころか、新聞やテレビはダイキンの広告を出している状況です。
2023年2月、摂津市民は記者会見を開き、こう訴えました。
「ダイキンが汚染源であることを報じていただきたい」
私はジャーナリストとしての役割を、本賞の理念を胸に果たしていきたいと思います。
▶優秀賞
〝沖縄〟は日本の、私たちの問題
復帰50年基地はなぜ動かないのか
今回賞をいただいたのは、昨年末まで1年半にわたって続けてきた朝日新聞の沖縄復帰50年報道で、社内ではメイン企画と位置づけて2022年5月に掲載・配信したものです。
半世紀の節目に問う価値のあるものを。50年後に読み返されたときにも耐えうるものを。そんな意気込みをもっていた一方、一昔前では考えられないような限られた取材態勢・期間であり、文字どおり歯を食いしばってなんとか読者にお届けしたものです。それだけにこのような貴重な機会をいただき、取材班一同、心より感激しております。
ありがとうございます。
私個人のことを申せば、沖縄報道にかかわって15年ほどになりますが、初めて赴任したころは、現場で理不尽な現実を目の当たりにし、憤り、告発するように記事を書いていたように思います。想像もしえなかった戦中、戦後、現在の出来事に次々と触れ、記者冥利につきるといえるものでした。しかし、いつしかそれだけでは十分ではない、もしかしたらそれは(たまたま今読みかけの小説のタイトルの言葉を参考にすれば)善良による傲慢、のようなものではないか、場合によってはマイナスにさえなるのではないかと考えるようになりました。
沖縄で起きている、全国に伝えるべき問題は本来、日本全体の問題です。しかし、かつての私には「沖縄のために」という思いはあっても、それが「自分のため」という発想はなかったのです。沖縄を報じるとき、それは沖縄のためにとどまらず、自分自身の社会のためでなければおかしい。沖縄で起きている問題が、日本社会がもたらしたものだとすれば、当然それは沖縄問題ではなく、日本問題であり、私自身の問題です。
そんな思いもあって、復帰50年報道では、沖縄がどう変わりどう変わらなかったのかを伝える以上に、日本社会がいかに沖縄と向き合ってきたのか、という視点を心がけました。2022年5月15日付の朝刊1面で、「基地はなぜ動かないのか」をスタートするのにあわせて掲載した解説記事では、次のように書きました。
〈日本が強いてきた『沖縄の戦後史』が、沖縄だけの問題になっている。復帰50年を迎えるのは沖縄だけでなく、日本社会の私たちだ。未来を語るためにも立ち止まり、沖縄の歩みを学び、日本の戦後史の中にとらえ直す〉
受賞を励みとしてこれからも、「私たちの社会のために」もがいていきたいと思います。
(取材班) 論説委員 谷津憲郎
那覇総局記者 国吉美香
西部報道センター記者 福井万穂
東京社会部記者 伊藤和行
大阪社会部記者 矢島大輔
、
【映像部門】
▶大賞
1人の声が社会を動かす様に感動
目撃!にっぽん「声をあげて、そして」(NHK)
報道局 政経・国際番組部 ディレクター 宣 英理
この度は、栄誉ある賞を頂き、誠にありがとうございます。放送から1年がたった今、この番組が人々のもとに届いていたことを改めて実感することができ、感謝の思いでいっぱいです。私たちが伊藤詩織さんの取材を始めたのは、2017年に性暴力被害を告発する#MeToo運動が世界中で広がった後のことでした。ニュース番組の国際班にいた私たちはそれぞれにこの世界的なうねりに関心を持ち番組の提案をしたことで、一緒にクローズアップ現代という番組を制作することになりました。その過程で日本における#MeTooを伝えるためには伊藤詩織さんの存在は欠かせないと話し合い、2人で会いに行ったことが始まりでした。当時はその後、これほど長期にわたる取材になるとは考えもしませんでした。
初めて伊藤さんに会うとき、記者会見の映像で見ていた緊張でこわばった表情を浮かべる彼女の姿から、こちらも緊張感を持って臨んだことを覚えています。しかし、それはすぐさま覆されました。伊藤さんは、同世代の女性で、同じくジャーナリストを志す者が取材に来たと、私たちを受け入れてくれたのです。#MeTooの広がりがなければ、私は彼女の声に耳を傾けていなかったかもしれない、そのことを強く恥じました。
伊藤さんは私たちに何を投げかけたのか。暴行や脅迫がなければ性犯罪だと認められない刑法の問題、性暴力被害者の相談・支援体制の問題、体に対する自己決定権の問題、日本社会で見過ごされてきた問題に一人で風穴を開けようとしていました。番組で取材した福岡県の性暴力被害者支援センターの方の言葉が強く印象に残っています。「詩織さんは、このことをもっとオープンにしよう、被害者だけで抱える問題ではない、社会みんなで考える問題なんだ、そう教えてくれた」と。私も、日本社会で生きる一人として、おかしいと思っても声をあげられないことが何度もありました。しかし、誰か一人の声が社会を動かすことがある、この5年間の取材を通じて、今ではそう感じています。一人でも多くの人がそう思える社会になるように、これからも制作を続けたいと思います。
等身大に描けているかと自問する日々
ディレクター 池田亜佑
この度は、栄誉ある賞を頂き、本当にありがとうございます。紆余曲折を経て社会へ向け放送したこの番組に心を留めて頂けたこと、このような賞を頂けたことを、嬉しく、同時に身の引き締まる思いです。
日本や世界の性暴力を取り巻く空気は、この5年間で本当に大きく変わりました。ただ、正直なところ、2017年にアメリカで広がり始めた#MeToo運動に関心を持ち、およそ半年前に公の場に出た伊藤詩織さんのことばに触れて「伝えるべきだ」と感じ、2人で本格的に取材を始めた後も、社会がこんなにも変わるとは、そして一方で、放送に至るまでにこれほど時間がかかるとは、恥ずかしながら、私はまったく想像できておりませんでした。見通しの立たぬ中で、それでも取材を続けさせてくれた伊藤詩織さん、そして、共に模索を続けてくれた宣ディレクター、相談に乗ってくれたプロデューサー始め周囲の方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
「声を上げれば必ずどこかに届く」。伊藤詩織さんが、ご自身の民事の2審判決の後、会見の場で話してくれたこのことばの意味を、取材を通して学ばせてもらっていたように思います。ずっと感じていたのは、伊藤詩織さん自身のなかに、数え切れないほどたくさんの“声”があるのだ、ということです。国内外を問わず、どんな場所にも自然体で飛び込み、人と対話をし、その“声”を柔軟に受け止めながら、自分は何をすべきかを考える。ジャーナリストとして、そして1人の人間としての伊藤さんの等身大の姿を少しでも届けたい。その思いで番組制作にあたっていました。少しでも届いていたらいいな、と願っています。
ただ、自分自身はディレクターとして“出来なかったこと”の反省がいまだ大きく残っています。社会が変わったとは言え、まだまだ課題も多く残されています。ジャーナリズムに関わる者として、“声”を受け止め、考え、動き続けていきたいと思います。
▶メディア賞
取材しながら学び、考える
異国の地で~ベトナム人実習生はなぜ罪に問われたのか~
RKK熊本放送報道部 記者 坂本 悠眞
【概要】2020年11月、自室で1人、双子の赤ちゃんを死産したベトナム人技能実習生レー・ティ・トゥイ・リンさんは、翌年、熊本地方裁判所で死体遺棄の罪で有罪判決を受けた。
リンさんは「妊娠すると帰国せざるを得なくなる」と考え 誰にも相談できないまま、孤立出産に追い込まれたリンさん。「我が子を捨てるつもりはなかった」と無罪を訴える。弁護士は、孤独な環境の中で死産したリンさんが、罪に問われることに疑問を示す。
熊本市にある市民団体「コムスタカ・外国人と生きる会」。代表の中島眞一郎さんは、これまで40年近くにわたり外国人の支援をしてきたが、不当な扱いを受けた実習生を保護したケースも多くあるという。厳しい環境に置かれたリンさんが罪に問われたことに憤りを隠さない。中島さんたちの集めた署名が徐々にリンさんの力となっていく。
一方で、多くの実習生の受け入れている県南の地域では、実習生同士が結婚し、妊娠、出産した事例も。彼らとリンさんの環境は何が違ったのか。
リンさんは罪に問われるべきなのか。
技能実習生をめぐる制度の歪みや無理解が起こしたともいえる今回の事件。
裁判に臨むリンさんとその戦いを支援する人々を追った。
【感想】この度は表彰いただきましてありがとうございます。なぜリンさんは死体遺棄に問われてしまったのか?技能実習生制度の実態とはそういうものなのか?ということを考えながらの取材でした。2月から最高裁での審理が始まる予定です。日本の司法はどのような判断を下すのか。今後も引き続き取材を続けたいと思います。
▶アンビシャス賞
大義以上に大切な日常を痛感
『ブラッドが見つめた戦争~あるウクライナ市民兵の8年~』(NHK教育)
オルタスジャパンデイレクター 西野晶
このたびはアンビシャス賞に選んでいただき、誠にありがとうございます。「ブラッドが見つめた戦争〜あるウクライナ市民兵の8年〜」は、ウクライナの市民兵であるブラッドの心の軌跡を、本人自ら撮影したビデオアーカイブを用いて辿った番組です。今も軍の特殊訓練を受けている彼に、この栄誉を伝えたいと思います。そして一刻も早くウクライナに戦争のない日常が戻ることを願います。
1年前、ウクライナで発令された国家総動員令によって一般市民が突然、戦争に参加することになりました。もし我が身に同じことが降り掛かったら、私は怖くて逃げ出したい。けれど、ウクライナ国民の多くは動員令に賛成し志願者も多かったのです。その市民兵に聞きたかった、身の危険を顧みず戦う理由はなぜ…?と。
リサーチの中でブラッドに出会い、戦場にいる彼と膨大な映像と言葉のやりとりをし、日本で戦禍のウクライナに向き合いました。祖国のためであるとか民主主義を守るという大義以上のものが、市民の士気を高くさせていました。
撮りためられた映像が教えてくれるのは、長い戦争状態によって兵士の心に強く刻まれた日常の儚さ。生と死が常に隣にあるということ。失われたものを取り戻すために戦うという強い意志。「戦争も日常生活も人間の営みだ」という彼の言葉に私は気づかされました。放送を通して視聴者の方とこの経験を共有することができ、関わってくださった全ての方々に感謝しています。そして、このような市民の目線に立った賞をいただくことができたのは大変特別なことです、光栄に存じます。
▶優秀賞
膨大なデータが明かす〝真実〟
NHKスペシャル「追跡 謎の中国船~〝海底覇権〟をめぐる攻防~」
NHK 報道局 国際番組部 ディレクター 新里 昌士
今回はこのような賞をいただき、本当にありがとうございました。NHKスペシャル「追跡・謎の中国船」は中国の調査船・浚渫船の可視化が最大のアピールポイントですが、取材開始当初は本当に可視化出来るのか分からない野心的な企画でした。
まずIMO(国際海事機関)のリストから手作業で中国船籍の当該船をピックアップし、さらに中国メディアの報道から重要船舶の動向を洗い出すというリサーチから始めました。特定できた重要船舶の位置情報を、10か月に及ぶ交渉で専門会社から入手。航跡データは、エクセル2000万行に及ぶ膨大なものでした。そのデータをNHK内の専門チームのエンジニアたちが独自に組んだソフトに入力し航跡図として映像化しました。
航跡図を丹念に分析し、現地取材・関係者インタビューを行い、真実に迫るというプロセスが続きましたが、中国政府が「海洋強国」となるべく、したたかに、徹底的に世界中の海洋を調べ尽くしている実態が、まさに航跡の動きからも浮かび上がってきました。
海洋に眠る膨大なレアアースの獲得のため格子状に動く中国船の姿。そして、中国が経済協力を名目として世界中に建設した港湾施設。10年にわたる中国船の活動を可視化した番組は、過去にほとんど例がなく、航跡図を見た多くの専門家も衝撃を受けていました。かつてスペインやポルトガルが世界の海を制したように、今私たちがこの“大航海”に参加しなければ、日本も取り残されるのではないかと強く感じました。今後も“隣国”の知られざる事実に迫り続けたいと考えています。
(受賞)ディレクター 五十嵐哲郎
同 二村晃弘
▶優秀賞
取材を通して紡ぐ「伝える」物語
報道特集番組「復帰50の物語」
QAB琉球朝日放送チーフディレクター 町龍太郎
復帰から50年という節目の年に、1年間を通して「復帰」と向き合ってきた報道制作部 のメンバーとともに一丸となって作り上げた番組が、遠く離れた北海道の方々の目にとまり、このような賞を頂けたことに大変感慨深いものがあります。関わった記者やスタッフに代わり厚く御礼を申し上げます。
「復帰」について明確な答えは私たちの中ではまだ出ていません。過去の歴史を知れば知るほど、今の沖縄、これからの沖縄について、なにを伝えていくべきなのかを突き付けられ 続けた1年間でした。地域に眠る物語を取材を通してつむぎ、伝えるという報道の原点を改めて強く意識することになった今、この志を胸にこれからも日々の取材にはげみたいと思います。
復帰でよかったのかどうか
ディレクター 花城桜子
沖縄戦ほど語られないけれど、沖縄史のターニングポイントとして欠かすことのできないのが 復帰だと考えます。刻々と人々の記憶から遠ざかり、私たち若い世代にとって未知の出来事をどう伝えるか。様々なヒト・モノ・出来事を取材させていただきましたが、学びと発見の連続で した。悩みながら走った年の最後に賞をいただけて光栄です。結局、復帰してよかったのかどうか答えは見つかりませんでした。しかし、未来を変えるには、これまでの道のりに目を向けることが必要だと学びました。
基地・貧困・環境汚染・教育格差など沖縄の課題は山積しています。 誰かの何かの知るきっかけとなり、視野が広がるような取材をこれからも続けていきたいで す。
▶優秀賞
〝前〟に進む女性の姿を描く
「女性議員が増えない国で」
テレビ朝日ニュースデスク 溝上由夏
世界で女性政治家が増えても、日本には変化は起きず諦めのような雰囲気すら漂っています。日本の閉塞感は、政治の世界と同じく男性社会であるメディア側が「オトコ社会の壁」を描けていない事も原因なのでは?という想いが作品の出発点。制作陣は女性を中心に組み、編集も育休明けの女性が主に在宅で繋ぎました。想像していた事ではありますが制作の過程で、女性陣は共感できるシーンであっても、男性からは「本当に必要なのか?」と疑問を持たれるシーンもあり、時には価値観の衝突も起きました。作品にはその都度チーム内外で議論した結果が詰まっています。ただ、こうした議論の積み重ねで、結果的に”選挙モノ”としては異質の作品に仕上がったと思います。本作では選挙におけるハラスメントの現実、子供と会うことすら咎められる理不尽な常識、ケアと仕事の間で揺れつつも突き進む候補者、伊藤孝恵さんの姿を通し、女性政治家に立ちはだかる壁に迫りました。他にも、日本に男女平等の道を開いた赤松良子さんの姿、そして政治家を目指す20代の女性を追いました。日本にも前へ進もうとする女性が全ての世代に存在しているという事が世の中に伝わり、一人一人の力になれば幸いです。また、最後になりますが数多くの優れた作品から本作を選んで頂き本当にありがとうございます。制作陣一同大変感謝しております。
ディレクター 岡林 佐和(朝日新聞テレ朝出向中)
同 進 優子(テレ朝)
編集 大川絵美(FLEX)
▶優秀賞
不条理の積み重ねに耐えて
「還らざる日の丸~復帰50年 沖縄と祖国~」
琉球放送ディレクター(報道制作部 専任部長) 野沢周平
この度は市民目線に基づく栄えある賞にご選出いただき、大変光栄です。
番組は去年、沖縄の日本復帰50年に合わせて放送したものです。復帰15年後に沖縄で開かれた海邦国体の会場で、掲揚された日の丸を焼き捨てた知花昌一さんの複雑な半生に焦点を当てながら、戦中から沖縄が辿ってきた道のりを“日の丸”という一つの共通した視点を軸に振り返りました。
復帰というのは“世替わり”と呼ばれる出来事でしたが、沖縄はその世替わりを度々経験しています。かつては琉球という独立した国家として中国などと広く交流していましたが、日本に武力併合され、凄惨な沖縄戦を経てアメリカの軍事統治下に置かれました。そして、27年間の時を経て、50年前、日本に復帰しました。
翻弄され続けてきた歴史、と言えるのかもしれません。世替わりの中で、様々な矛盾や不合理にさらされ、命を奪われ、人権を無視され、苦しみに喘ぎ、怒りの声をあげてきました。その状況は現在も続き、事故やトラブルがあっても軍用機は空を飛び続け、反対の民意が繰り返し明示されても新たな基地の建設が止まることはありません。
無関心や不寛容、疎外、同調という空気がまん延する時代ですが、沖縄がなぜ不条理を訴えているのか、これまで起こってきた事実を事実として積み重ねることで厳然と伝えておきたい。それがこの節目にすべき仕事だと思い、番組制作を進めました。
有事の名のもとに再び変化が押し寄せる中、沖縄のメディアとして、今後も「知り、伝えること」に力を注いでいきたいと思います。
ジャーナリズムは復権したのか
ジャーナリスト 鈴木エイト
2022年メディア・アンビシャス大賞特別賞受賞という栄誉をいただきありがとうございます。
受賞の概況に「市民の期待に応えるジャーナリズムそのものとして高く評価」との文言があります。このような言葉をいただけたことは身に余る光栄です。
私は自分自身がおかしいと感じたことを追及してきました。私がジャーナリストとして活動を始めた10数年前、すでに「統一教会の問題は過去のこと」として殆どのメディアは関心を持っていませんでした。以降、政治家の関わりを何度も報じてきましたが、同じように問題視するメディアはほぼ皆無でした。メディアが報じないことによって、政治家の側も教団との関係が問題視されることはないだろうと高を括ってきました。そこで横行していたのが教団の被害者を軽視する行いであり、その陰にいる二次被害者は無視されてきました。そこに〝絶望〟した教団の二次被害者によって元首相銃撃事件が起こりました。
教団と政治家の問題が報じられず、メディアの役割である「権力の監視」が行き届かないところで「歪な共存関係」が少なくともこの10年の間、続いていたのです。
何ら問題は解決しておらず、政界内での追及や検証もなされていません。にもかかわらず、すでに過去のことにしようとしている政治家たち。そこを突かない限りジャーナリズムの復権は成し得ません。問題を風化させないために必要なことは風化させたい側への追及です。私はこれからまたたとえ一人になったとしても追及を続けると思います。
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