2012年(第4回)「受賞の弁」

【活字部門】

 ◇メディア・アンビシャス大賞 北海道新聞「原子力 負の遺産」

   北海道新聞編集局報道センター 記者 関口裕士(せきぐち・ゆうじ)

 「原子力 負の遺産」は「核のごみ」から始めました。先送りの果てに行き詰まった原子力政策の残りかすが、そこに凝縮されていると考えたからです。
 現状をありのままに書けば、読者も問題意識を共有してくれるはずだと思い取材しました。「地震国日本で10万年も地下深くに閉じこめることが技術的に可能なのか」「将来の世代に危険なごみを押し付けることが倫理的に許されるのか」。今も問い続けています。
 連載は、第2、3部で使用済み核燃料の再処理や高速増殖炉もんじゅという東京電力福島第1原発事故以前から破綻していた核燃料サイクルを取り上げました。第4、5部の廃炉と放射能汚染は、事故が私たちに突き付け、今後何十年も否応なしに向き合わなければならない課題です。
 連載を通じて、なるべく原子力を推進する側の言葉を多く聞きました。淡々と事実を積み上げ、推進派の声を拾い集めることで原子力政策の病巣を浮き彫りにしたつもりです。
 メディアアンビシャス大賞の受賞は私たち記者の大きな励みになります。「そういう取材姿勢でいいから、これからもっと頑張れよ」と背中をポンと押していただいた、そんな風に受け止めています。ありがとうございました。

◇メディア賞 朝日新聞「原発とメディア」

東京本社編集委員 隈元信一(くまもと・しんいち)

 メディア担当記者として、メディアアンビシャスの活動に共感してまいりました。市民に選ばれた、そのことが何よりうれしいです。ありがとうございました。

 「原発とメディア」は、原発報道を記者8人で検証した連載です。朝日新聞が「安全神話」に加担したのかという自己検証から入り、他のメディアへと広げていきました。電力業界が42年間で2兆4千億円もの広告宣伝費を使ってきた事実や、漫画を使った広告、原子力の夢を語る教科書などが子どもたちの日常に浸透していった実態にも迫りました。

 計306回の連載で、様々な反省点と教訓を浮かび上がらせることができたと自負しています。しかし、これで終わったという意識はありません。この企画は福島の原発事故をきっかけに始めたわけですが、何か起きた時だけ騒ぐようなメディアの体質こそが問われています。この問題に限らず、普段の検証、不断の検証が必要だと痛感しています。

 もうひとつ感じたのは、メディアがメディアを取材する難しさです。自社なら資料は社内にあるし、取材相手の先輩・同僚記者たちもたいてい協力的です。ところが、他社の取材は容易ではありません。私自身、取材拒否にあった地方紙もありました。そこで思うのですが、すべてのメディアが自己検証をしたらどうでしょう。自らの過去をきちんと振り返り、未来へと踏み出す。終わりなき検証の旅へメディアが結集してこそ、揺らいでいる信頼を取り戻し、市民とともに歩むことにつながるのではないでしょうか。

 メディアアンビシャスの方々は、これからも厳しい目でメディアを鍛えてください。

◇アンビシャス賞 毎日新聞社「内閣府原子力委員会の『秘密会議』」に関する一連の報道

東京本社特別報道グループキャップ 小林直(こばやし・ただし)

市民の方々に評価していただき、とても嬉しく思っております。

「原子力委員会でインナー(内部)だけの会議をやっている」。私たちがこの情報をキャッチしたのは、問題を初めて報じる半年前の2011年12月でした。しかし、開催時間や詳しい場所が分からず、毎日のように原子力委員会の入る庁舎で張り番をしました。事情を知る関係者に対する夜回り取材も併行し、徐々に様子が分かってきました。出席者は原子力委員会のほか、経済産業省資源エネルギー庁、文部科学省、電気事業連合会、再処理工場を経営する日本原燃、電力会社などの幹部たち。いわゆる「原子力ムラ」の人々が、原発政策や核燃サイクル政策の見直しを行っている「表(おもて)」の二つの有識者会議をコントロールするために、頻繁に作戦会議を開いていたのでした。

東日本大震災による未曾有の原発事故を経て、当時の民主党政権は「エネルギー政策のゼロベースの見直し」を国民に約束していました。にもかかわらず、ムラへの影響を最小限に抑えるために、こそこそと謀議を重ねる姿に怒りを覚えながら取材を重ねました。

「原発事故でマスメディアは政府の発表をそのまま報道した」と厳しい批判を受けました。記者クラブ制度への根強い批判もあります。こうした中で、メディアには権力の監視、独自の調査報道が以前にも増して求められていると思っています。受賞を励みにさらに精進を重ねます。どうもありがとうございました。

◇入選 「除染手当 作業員に渡らず」(朝日新聞)

朝日新聞東京本社特別報道部 青木美希(あおき・みき)

  原発事故以降、作業員たちの話を聞いて歩きました。最前線で働く彼らの肉声が真実に一番近いと考えたからです。「線量計がないまま働かされた」「健康管理がまったくされていない」。彼らの声を東京電力にぶつけても、当初は否定されるだけでした。記事にできないもどかしさを1年間抱えてきました。

 しかし取材に応じてくれる作業員の数は次第に増え、取材班も増強されました。昨夏、線量計に鉛カバーをつけて働かせる「被曝隠し」のスクープを皮切りに、1年間蓄積してきた情報を一層掘り下げ、相次いで記事にすることができました。

 「除染手当 作業員に渡らず」のスクープは、原発・除染を巡る取材の一部です。原発構内で働いていた作業員が除染作業に移るなかで、危険手当の不払い情報が相次いで寄せられました。下請け会社は認めましたが、ゼネコンや環境省は認めようとしません。そこで証言と物証を積み重ね、朝日新聞として不払いの横行を認定しました。報道を受け、労働行政を担う厚生労働省が不払い事案を発表するに至りました。

 新年から始めた「手抜き除染」報道も一連の流れです。作業員の証言を積み重ね、記者が手抜き現場を撮影しました。報道後、環境省やゼネコンは一部を認めましたが、全容解明には及び腰です。

 原発・除染現場に迫る取材は道半ば。記者クラブに属さず、現場重視で埋もれている問題を掘り起こす。そんな調査報道に挑み続ける覚悟です。

◇入選「人減らし社会」(朝日新聞、連載)

東京本社経済部労働チーム記者 内藤尚志(ないとう・ひさし)

 経済記者として、企業のリストラの発表をいくつも取材してきました。リーマン・ショック、欧州危機、超円高……。次々とおきる「想定外」を理由に、経営者たちは競いあうように従業員削減をうち出しています。

 人減らしの対象になった働き手は、何を思うのか。カイシャを去ったあと、どう過ごしているのか。「実はあまり書かれていないのでは」。石神和美デスク(当時)から言われ、自分の怠慢に気づきました。吉川啓一郎記者と手分けしてリストラの現場を回りました。

 見えてきたのは、理不尽な人減らしが当たり前のようにおきているという現実でした。大きなミスをしたわけではなく、手を抜かずに精いっぱいやってきたのに、「君にまかせる仕事はない」。こんな理不尽を「経済再生のためには仕方がない」と受けいれる風潮も強まっているように感じました。このままでいいのだろうか。「人減らし社会」のタイトルに、そんな危機感もこめたつもりです。

 まずは現場へ。役所や企業の言い分だけでは、記事はつくれないはず――。朝日新聞経済部労働チームの同僚たちとは、いつもそう言いあっています。今回の受賞は、そんな労働チームの思いも認めてもらえた気がして、たいへん励みになります。ありがとうございました。そして何より感謝を伝えなければいけないのは、長い時間をさいて貴重な体験談を話してくださった方々です。みなさんがいなければ、私たち記者の仕事は成りたちません。連載「人減らし社会」は近く再開の予定です。変わらぬご愛読と叱咤激励を、よろしくお願いいたします。

【映像部門】

 ◇メディア・アンビシャス大賞 南海放送「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして・・・」

南海放送ディレクター 伊東英朗(いとう・ひであき)

このたびは、このような賞を頂きありがとうございます。このテーマを追いかけ始めたのは今から9年前の04年です。54年に起こったビキニ事件で第五福竜丸以外の船が被ばくしていたことに衝撃を受け、取材を始めました。以降、毎年のように愛媛ローカルで放送してきました。しかし放送時間が深夜ということもあり視聴者からの反応はほとんどありませんでした。数年間その状態は続きました。自分が受けた衝撃を視聴者に伝えることができなかったのです。水爆実験による被ばくは60年前のこと、さらに事件は第五福竜丸に集約され「第五福竜丸事件」として歴史に刻まれてきました。また、放射線による被害は分かりにくく裏づけが困難です。被害者自身が気がつかないまま亡くなっていくことがほとんどで、番組のテーマとしては、非常に難しいものだと感じていました。被害者の強い怒りや抵抗・連帯などが見えにくく、被害の実態すらほとんど分かっていないのです。

しかし、一昨年、人々の意識を大きく変える事故が起こります。それは3.11。翌年ビキニ事件をテーマにNNNドキュメント(日テレ系列)で全国放送し、大きな反響を頂きました。

今回の受賞は、アンビシャスという大儀のもと選んで頂いたと聞きます。この事件をテーマにした番組が「大志を抱く」というポイントで評価頂けたとすれば、それはまさに何も知らず亡くなっていった被ばく者、そして、遺族。さらには事件に光をあてた高校生たちへの餞であり、事件解明への希望だと思います。事件は、ほとんど未解明です。そして被ばくが裏付けられないまま60年を迎えようとしています。被ばく者たちの無念をはらすことはもちろん、今起こっている被ばく問題、そして、今後起こりうる被ばくに向けて、この事件は必ず解決しておかなければなりません。この受賞を機にさらなる事件の解明へ歩を進められればと思います。ありがとうございます。

◇メディア賞 ザ・スクープ「米軍は沖縄で枯葉剤を使用した!?」(道内HTB)

テレビ朝日演出・チーフプロデューサー 原 一郎

このたびはメディア賞をいただき、どうもありがとうございます。民放ではこうした調査報道は絶滅危惧種なので、正直、これで少しは寿命が延びたという思いです。また、サバイバルのためには視聴率も狙っていかざるをえず、多少あざとい煽りやCM前の引っ張りなどの演出もあり、この種の賞とは無縁だと思っていたので本当に嬉しい限りです。

ただ、地中からのダイオキシン成分検出という決定的エビデンスを得られなかった以上、元米兵の証言を集めただけでは調査報道としては完結しておらず、日米両政府ともに「米軍が沖縄で枯れ葉剤が使用・貯蔵したという記録はない」という立場を変えていません。

(資料が見つからないとして、事実関係を否定していないところがミソですが…)

 去年10月にテレメンタリーで枯れ葉剤疑惑第2弾を放送し、普天間基地のまさにオスプレイ離着陸地点に31年前、枯れ葉剤が投棄されていた現場写真や設備担当者の証言を放送しました。さらに、「2万5000本の枯れ葉剤のドラム缶が沖縄に貯蔵されていた」という米陸軍の報告書を入手しましたが、日米両政府は「事実誤認による記載ミス」として認めようとはしません。まだまだ本当に道半ばですが、今回の受賞は「追及の手を緩めるな」というエールと受け止めて励みにしたいと思います。

 なお、アメリカロケは琉球朝日放送と分担して共同取材を行い、沖縄では特別番組「枯れ葉剤を浴びた島」として実を結び、大きな反響を呼んだことを付記しておきます。

◇アンビシャス賞 HTB「国の責任を問うということ~由仁町C型肝炎訴訟の行方~」

 HTB報道部 広瀬久美子

 由仁町のC型肝炎多発の問題を初めて取材したのは5年前の2008年。当時、私は司法担当で、1989年提訴のB型肝炎訴訟に協力した美馬聰昭医師を訪ねたのがきっかけでした。「C型肝炎は医者が作った病気。だから、医者の自分が決着をつける」。美馬医師は由仁町三川地区で疫学調査を行い、住民のC型肝炎への高い感染率を突き止め、原因はかつてあった診療所での注射器の使い回しだと結論づけました。
 現地を取材 した私は衝撃を受けました。町を歩けば、次から次へとC型肝炎だという住民に出会います。「この辺は軒並みC型だ」、「C型肝炎で死んだ人は数えきれない」。平然とした話しぶりは拍子抜けするほどで、原因とされる医師への怒りは感じられませんでした。被害者にも関わらず仕方がないと諦め、病気を抱えながら静かに生きてきた住民たちがそこにいました。
 それから1年後、三川の人たちを中心に住民活動が始まり、さらなる疫学調査の実施や医療費無料化を目指すことが決まりました。しかし、活動は遅々として進まず、先行きは見えません。当時の住民たちに、裁判を起こす考えもありませんでした。
 それでも、取材を続けたのは、義務感に近いものを感じたからかもしれません。取材するメディ アも次第に減って、継続的に報じているのはHTBだけ。「私がやらなければ…」という気持ちがありました。どうなるかも分からない住民活動だけれど、こうした地道な活動を報じ続けることこそローカルメディアにしかできないことだと思います。
 田舎町の普通のおじさん、おばさんたちが、国を相手に起こした裁判の行方は厳しいものになるかもしれませんが、今後も取材を重ねていきたいと思います。

◇入選 NHKスペシャル  3.11 あの日から1年

 「調査報告 原発マネー ~“3兆円”は地域をどう変えたのか~」

NHK報道局社会番組部 チーフ・プロデューサー高倉基也(たかくら・もとなり)

このたびは、私どもの番組に対し、高い評価を頂戴し、大変光栄に思います。

この番組は、福島第一原発事故のあと、ディレクターや記者たちが各地の現場で感じていた違和感の声が出発点となりました。

福島県楢葉町では放射能汚染によって、全住民が町外へ避難しているにも関わらず、町長は原発を手放せないと強く語り、青森県では、県内の原子力施設の安全対策について話し合われた全市町村長会議で、誰からも施設の安全性を問う声が出てこなかったというのです。

そして、私たちはカネに注目して番組を作ることにしましたが、「原発とカネ」の問題は、これまでも結構語られており、概要は多くの人が知っていました。ですので、今回は、専門家の分析ではなく、とにかく、「当事者の証言」を記録することにこだわることで、「知った気になっている部分」を浮き上がらせていく事を番組の生命線にすることにしました。

取材を進めていくと、実は知っているようで知らないことだらけでした。いかに私たちが無意識に支払った電気料金が、原発を立地する自治体から、安全センサーのようなものを奪ってしまっていたか、その不条理がリアルに見えてきました。

現場の違和感から始まった取材でしたが、これは、原発の恩恵を享受してきた私たちの社会が作り出してきた仕組みであり、番組を見ていただいた一人一人が、このようなあり方でよいのかを考えるきっかけになって欲しいという願いを込めていきました。

今回、このような賞を頂けたことは、100人を越える当事者のもとに、何度も取材拒否にあいながら通い続け、声を拾っていった、若いディレクターや記者たちの今後の番組制作に大きな励みとなります。

本当にありがとうございました。

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