2015年「受賞の言葉」特集

【活字部門】

▽メディアアンビシャス大賞

連載企画「子供と貧困 シングルマザー」

                 朝日新聞大阪本社生活文化部次長 斎藤利江子

このたびは、2105年メディアアンビシャス大賞に選んでいただき、ありがとうございます。取材班一同、大変ありがたく受け止めております。

「子どもと貧困」は2015年10月に始めた企画です。子ども6人のうち1人が相対的貧困だといいます。ですが、その実態は、意識して見ようと思わないと、なかなか見えない。そう感じながら、手探りでスタートしました。シングルマザー編は、この企画の2番目の連載にあたります。子どもの貧困を語るとき、まず正面から向き合わなければならないテーマの一つが、母子世帯の問題なのだろうと考えました。

 厳しいぎりぎりの生活のなか、寝食惜しんで働いているシングルマザーの方々に取材に応じていただくのは容易なことではありませんでしたが、それでも、記事にできなかった方々を含め、多くの方に協力していただきました。取材を通じ、現代の子どもの貧困は、さまざまな問題が複雑にからみあい、一筋縄ではいかないと実感しています。実態の一端を受け止めながら、どうしたらこの現状を少しでもよくできるのか、そのために何ができるのか、支援のありよう、制度・政策をどうしていけばいいのか、記者たちは自問自答し、悩みながらチームで進んでいく途上にあります。

 今回、記事に目を留めていただき、思いがけず光栄な賞をいただきました。この自問自答を、最後まであきらめるなよという励ましをいただいたものと受け止めております。どうぞこれからも、厳しく温かくご指導いただけますよう、よろしくお願いいたします。このたびは、誠にありがとうございました。

▽メディア賞

連載「日韓 奔流半世紀」

            北海道新聞社東京支社報道センター長 間瀬達哉

 山口二郎代表はじめメディアアンビシャスのみなさま。この度はメディア賞に選出いただき、ありがとうございます。

 日韓基本条約調印から50年になる昨年6月に集中連載した後、取材班それぞれが次の仕事に取りかかっている中でうれしいお知らせをいただき、昨年前半の苦労が報われた思いです。

 1年前、日韓関係は最悪の状態と言われ、明るい話題で連載を埋めることはできない状況でした。しかしながら険悪な関係は両国の政治リーダーがもたらしている側面も大きく、それに加え、一部のメディアに触発された、お互いをよく知っているとは見受けづらい一部の国民が醸成しているようにも映りました。一方で目を凝らせば、私たちの暮らす北海道でも両国は確かなつながりがあります。私たちはその両方をありのままに伝え、記録したいと思いました。

 印象的だったのは嫌韓ブームのきっかけをつくった漫画家を訪ねた取材です。韓国人の知り合いも個人的感情もないが「面白いから」批判本を描いたのだと話しました。「正体見たり枯れ尾花」のような肩すかしを食った思いがしました。

 取材班は間瀬達哉(当時本社解説委員、現東京報道センター長)、斎藤正明(本社報道センター編集委員)、志子田徹(当時東京報道センター編集委員、現東京報道センター部次長)、松本創一(ソウル支局長)、大城戸剛(東京写真課)で構成しました。

 本連載は北海道新聞が昨年1年間取り組んだ「歴史と語る」シリーズの一編です。「帝国の慰安婦」著者の朴裕河・韓国世宗大教授ほか多くの識者に戦後70年を語っていただきました。昨年2月末までロンドン支局長だった志子田徹は、日韓連載企画に先駆け「加害責任と向き合う」と題しドイツの戦後補償について2月25日から5回連載しました。ご参照いただけましたら幸いです。

▽アンビシャス賞

 「憲法解釈変更  法制局経緯公文書残さず」の一連の報道

              毎日新聞東京本社社会部記者  日下部  聡

 「公文書の話なんて地味だから、あまりウケないだろうなあ…」。組織の闇を暴くような特ダネでもない。内閣法制局に文書があるか問い合わせたら「ない」と言われただけのこと。もちろん、おかしいと思ったから書いたのですが、正直に言うと斜に構えていました。

 ところが、反響は予想を超えました。記事掲載直後から、SNSに「びっくりした」「これはまずいのでは」という感想があふれ始めました。理屈ではなく、驚きとして受け止められたのです。安保法制賛成派からも「反対派に付け入る隙を与えてしまう」といった声が上がっていました。

 反省しました。読者を見くびっていたと思います。そして、勇気づけられました。安保法制をめぐる議論の二極化に、合意点を見いだすヒントにもなるのではないかとも思いました。

 これまでは「どうやってネタを取ったか」というのが、典型的な記者の物語であり、ノウハウでした。しかし、私は最近、少し違うことを考えています。

公開情報であっても、一手間かければ、権力の監視はできるし、ヒューマンストーリーを書くこともできる。素材はどこにでもあるのです。視点や発想の転換が、今の報道現場には求められていると思っています。

情報は民主主義の「酸素」とも「血液」とも言われます。ここ10年くらい、情報を取るだけでなく、情報がないこと自体をニュースにするのも重要だと考えてきました。

それを評価していただけたことに、深く感謝しています。

▽アンビシャス賞

 「秘密保護法    検査院が支障指摘  『憲法上問題』」の報道

                    毎日新聞東京本社社会部記者  青島  顕

  市民のみなさんがつくった賞を同僚と共にいただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。マスコミの信頼感が問われる中、これほどうれしいことはありません。「秘密保護法の取材を続けよ」と背中を押された思いです。

 13年12月の秘密保護法が成立後、安倍政権の法案形成過程への関与を調べるため、内閣官房に関係文書を情報公開請求しました。

  15年夏に段ボール8箱ほどの開示がありました。残念ながら政治の関与を示す情報はほとんど得られませんでしたが、行政内部の法案検討過程の文書は開示されました。会計検査院が、秘密指定文書を検査できなくなる恐れを指摘した文書は、その中にありました。

 文書は、資料を読み込むうちにほどなく見つかったのですが、客観的に見て、どれほど検査への支障はあるのかを把握するのに手間がかかりました。検査院の検査は専門的な要素もあって、値踏みに手こずりました。

 最終的には、的確な取材対象が見つかった時期が、秘密法施行1年の時期とちょうど重なり、とても幸運でした。

  私どもの報道を受けて、内閣官房は関係省庁に対し、会計検査に対し、秘密指定文書をこれまで通り見せるように通知しました。しかし、本当に見せるか保障の限りではありません。これに限らず、秘密保護法の影響が出るのは、これから先だと思います。

 法が成立した時の悔しい気持ちを忘れず、情報公開請求など取材方法を研究し、気を緩めずに取材します。

▽入選

「道標求めて―琉米条約160年 主権を問う」

                       琉球新報編集委員 新垣毅

 それって何?―。連載表題の「琉米条約」という言葉を見て、そう思う方は多いでしょう。この連載を始める半年前、実は私もその一人でした。

 連載を始めた理由は、沖縄の民意が無視され続けている現状にありました。米海兵隊の輸送機MV22オスプレイの強行配備や、米軍普天間飛行場の移設を伴う名護市辺野古の新基地建設に、沖縄の人々は、知事選や衆院選などの主要選挙や大規模集会で「ノー」を叫んできました。それが日米政府に無視されている状況下で、少しでも明るい展望を見いだそうと、沖縄の自己決定権を問うキャンペーンに取り組みました。

 琉米・琉仏・琉蘭3条約に光を当てることで、沖縄はかつて国際法上の主体であり、1879年の「琉球処分」(琉球併合)は国際法上、不正であったことや、それを根拠に現在においても主権回復を主張できることが分かりました。企画は2大連載(「道標求めて―琉米条約160年 主権を問う」2014年5月~15年2月、「未来築く自己決定権―戦後70年 差別を断つ」2015年4月~11月)にまたぎ、計130回、特集7回に及びました。今思えば、プレッシャーや苦労などよりも、やりがいが大きかったです。

 この企画で最も訴えたかったのは「日本人は植民地主義と決別しよう」「沖縄と一緒に、人民の自己決定権を主張し、立憲主義を築こう」ということです。ある地域を道具のように扱うことを植民地主義と呼ぶのなら、沖縄はずっと日本の、戦後は日米の植民地であり続けています。今回、市民が主役となって志の高い報道を選ぶ、栄えある賞をいただいたことを一層励みにし、今、沖縄で起きている理不尽に向き合っていく決意を新たにしています。心から感謝を申し上げます。

【映像部門】

▽メディアアンビシャス大賞

「なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち」

         毎日放送報道局番組センター長(当番組プロデューサー) 澤田隆三

  百田尚樹サンといえば、大阪のテレビ界では以前から知られた名前でした。

 深夜にも関わらず視聴率20%をたたき出す、某局の人気番組を支えてきた放送作家として。その有名作家サン、このところ勇ましく攻撃的な発言が目立つな、と思っていたら、自民党セイセイたちの「文化芸術懇話会」という高尚な看板を掲げた会合に出かけていって「沖縄の新聞2紙はつぶさなあかん」と大阪弁でのたもうた。その言葉を聞いてまず感じたのは、大阪のテレビ人として恥ずかしいということ。そして、報道人である自分自身に向けられた言葉だと。

 すぐに番組の企画書を書きました。沖縄の新聞記者たちが日々どんな思いでペンをとっているのか。ただそれだけをシンプルに映像化して視聴者に伝えよう。エールを送るというより、同じ報道人として「つながりたい…」という気持ちでした。

かねてから沖縄に関心を持っていた斉加尚代ディレクターとともに7月に琉球新報社を訪ねました。正直に申しますと、ちょっと拍子抜けしました。紙面から想像していた“こわもて記者集団”からはほど遠い、柔和な表情をした編集幹部は、こちらの説明をうんうんと頷いて多くを語らないまま「では、お待ちしていますよ」と快く取材を受けてくださったのでした。撮影は8月4日から9月17日。辺野古の工事を一時中断して政府と沖縄県が集中協議する期間と重なり、この間に米軍ヘリの墜落事故もありました。

「沖縄の記者は先輩に育てられるのではない。あの沖縄戦を体験した人々に育てられるのだ」。政治部長が取材の後半に語ったせりふです。沖縄の記者ゆえの重い言葉だと思います。同時に、これは「では、オマエは誰のために取材するのか」という問いかけではないだろうか。なぜペンをとるのか。いま、すべての報道人が問われているのだと思います。

▽メディア賞

「戦争を忘れた東京の70年・ドイツと中国で考える」

         TBS報道局報道特集ディレクター 辻 真           

このような賞をいただき、大変光栄です。『戦争を忘れた・・・』というタイトルは、第一に番組制作者である自分自身に向けたものです。ずっと東京で記者という仕事をやっていながら、東京大空襲が如何なるものか、何も知らなかったと思い知らされたからです。

去年3月10日の東京都慰霊堂。来賓が退場しセレモニーが終わると、多くの取材カメラはその場を去っていきました。しかし、祭壇で手を合わせるために、数え切れないほどの高齢の人たちが、杖をつきながら、次から次へと、まさに溢れるように押し寄せたのは、その後でした。その光景を見た衝撃が、今回の取材を始めたきっかけでした。

東京大空襲の犠牲者数が、広島・長崎の原爆にも匹敵するということを、どれだけの人が理解し、意識しているでしょうか?なぜ東京だけが・・・その疑問に駆り立てられました。

そして、戦争の「被害」だけの放送でいいのか、その議論がドイツと中国での取材に発展しました。番組の中で特に反響が大きかったのは、中国・重慶の被害者を支えていたのが、東京大空襲の被害者だったという事実でした。

取材に協力をいただきながら放送枠に入りきらなかった証言も多々あります。今回の番組を制作した3人のディレクターのうち、瀬戸は「戦災孤児」をテーマにした続編を、去年12月に放送しました。今回のような評価をいただけたことを励みして、これからも長く継続して取材を続けていきたいと思います。ありがとうございました。

▽アンビシャス賞

「南京事件 兵士たちの遺言」

    日本テレビ放送網報道局 「NNNドキュメント」ディレクター 境 一敬

「南京事件」は、終戦からさらに8年遡った1937年の出来事。当時の日本兵たちは既に鬼籍に入り、ご存命であっても100歳近い年齢の為、すでに取材のタイミングを逸していました。本放送は、南京攻略戦に参加した福島県の歩兵第65聯隊をはじめとする多くの元日本兵から丹念な聞き取りと陣中日記の収集にあたった、小野賢二さんの地道な調査があってこそ成立した番組です。小野さんにはこの場をお借りしまして感謝御礼申し上げます。

さて、昨年メディアは「戦後70年」という括りで、戦争の記録・記憶を数多く伝えてきました。しかし、そのほとんどが被害者としての立場での報道でした。なぜ悲惨な戦争が始まったのか?そもそも日本人が中国で何を始めたのか?それもまた決して忘れてはならない大事なことです。

南京事件に対する日本政府の見解は、「非戦闘員の殺害行為があったことについては否定できない」としています。しかし近年、「南京事件は無かった、中国側のでっちあげだ」とする主張が跋扈し、若者たちの間ではそうした考え方が常識にさえなりつつあります。本放送はこうした主張には何の根拠もないということを証明するに至る調査報道でもあったと評価をいただいております。むしろ人数論に寄せるのではなく、残虐な歴史事実から目を背けることなく、淡々と事実を積み重ねていく姿勢こそが、今のメディア全体に求められていることではないでしょうか。

取材・制作はディレクター、チーフディレクター、カメラマンの3人体制で、およそ1年かけて臨みました。最も時間を割いたのは、従軍していた兵士たちが戦場で書き綴った「一次資料の検証」です。本来、一次資料は信じるに値する資料と判断しますが、南京事件の場合は多種多様な意見が飛び交っています。私たちは一次資料であっても、そこに書かれていることが事実なのかどうか、疑いに疑いをもって調べました。日記に書かれた1つの記述を他の複数の兵士の日記や証言で補強する作業や、戦後に記録された兵士本人の肉声テープや映像素材、さらに防衛省・防衛研究所に保管されている膨大な量の軍公式記録などから裏付け取材を行いました。こうしてある兵士が書いた「捕虜せし支那兵の一部5000名を揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃を以て射殺す」「其の後、銃剣にて思う存分に突き刺す」「一人残らず殺す」「年寄りもいれば子どももいる」「刀を借りて首をも切ってみた」などの記述は信憑性が高いと確認したのです。

また、番組が進むにつれ、陣中日記に書かれた文字情報だけでは理解が進まない揚子江岸での銃殺については、機関銃の配置場所や野戦電話の有無など、細かいディテールをCGで具現化したり、「相撃ちを防ぐために岸辺に立てた2本のたいまつの間を狙った」という、虐殺現場に居合わせた人間でなければ想像もつかない詳細な証言も、テレビという映像の特性を活かした手法で、よりリアルに、より立体的に視聴者に伝えました。

最後に、放送後視聴者の皆様からメール、お電話、お手紙で激励、推奨、ご意見を多数頂戴しました。今後の番組作りにいかせればと考えております。NNNドキュメントでは今後も良質なドキュメンタリー作品を放送して参ります。何卒宜しくお願い致します。

▽入選

「薬禍の歳月~サリドマイド事件・50年〜」(2月21日NHK) 

           NHK文化・福祉番組部ディレクター 石原 大史

「私たちの生き様を記録してください」。初めての取材で被害者の一人から告げられた言葉です。事件がもたらした傷は、二重三重に被害者の人生に立ちはだかりました。そして、事件が発生し50年が経過した今なお、新たな健康被害が明らかになろうとしています。私たちは、被害者の皆さんが自ら語る、それぞれの半生を記録することに徹しました。

これまで心に秘めてきた怒りや葛藤を目の当たりにし、私たちは、その力に、時に圧倒され、時に励まされながら、番組を制作しました。その過程は、私たちもまた、「自分達は何者であるか」を問われる時間であったように思います。

皆さんの言葉を紡ぐことによって見えてきたものは、半世紀の重みをもった薬害への「告発」であると同時に、苦難の中を生きる人間の「尊厳」でした。「薬禍の歳月」は、被害者の皆さんの人生と共に続いていきます。私たちは、そこから何を学ぶことが出来るのか。これからも考え続けていきたいと思います。

▽入選

特集「沖縄慰霊の日」

              テレビ朝日「報道ステーション」ニュースデスク 梶川 幸司

このたびは映像部門での入選を頂戴し、誠にありがとうございました。本特集は戦後70年という節目の年に際して、現在もなお日米の不正常な関係を象徴する地位協定のあり方を正面から問い質したいという思いの下で、3カ月にわたって取材・制作したものです。そして、長きにわたり米軍基地の過重な負担を強いられてきた沖縄、その70回目の慰霊の日である6月23日の放送にこだわりました。地位協定の問題は多岐にわたりますが、7年前に「公務中」の米軍人との交通事故で、ご主人を亡くした女性がテレビカメラの前で胸中を語って下さるなど、多くの関係者のご協力を頂くことができました。また、日本と同じく「敗戦国」であり、米軍基地を抱えるドイツとイタリアが、米側との交渉を通じて地位協定を改定した経過を、当時の首相や地元自治体の取材を通して紹介しました。事前リサーチの段階で参考とすべき文献が少なく、米軍基地の取材調整をめぐっても苦労しましたが、冷戦終結後に米側と粘り強く交渉に臨んだ独伊の姿勢は、地位協定の改定を「運用の改善」を図ることでよしとしてきた日本との比較において、実に考えさせられるものがありました。地位協定の不条理を考えるということは、国家の主権とは何かを問うだけではなく、沖縄に負担を押し付けておきながら無自覚でいる本土の意識のあり方を問うものだと思います。辺野古移設問題をめぐって、国と沖縄県が法廷闘争に入るなど予断を許さない事態が続いていますが、番組では今後とも安全保障と沖縄の問題を追い続けます。

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