2017年受賞感想文特集

【活字部門】

☆大賞 写真「沖縄の視線」

                 東京新聞編集局写真部 澤田 将人

「沖縄に寄り添う」を心がけて1800枚

 「沖縄の視線」と題した1枚がメディア・アンビシャス大賞に選ばれた。驚きと喜び、そして並み居る候補の中から「選ばれてしまった」というのが正直な感想かもしれない。新聞報道写真の大賞受賞は初めてとのこと。事の重大さに押しつぶされそうだ。撮影時の状況とささやかな志について、少しだけ説明したい。

 昨年6月23日、「慰霊の日」を迎えた沖縄を取材した。島が鎮魂と恒久平和への願いに包まれるこの日に、沖縄県を訪れるのは初めてだった。漠然と「沖縄の側に立った写真」と「戦争の悲惨さを訴える写真」を撮りたいと考えていた。考えてはいたが、実際は目の前の一つ一つの作業に忙殺された。

 主な仕事は、東京新聞「こちら特報部」の慰霊の日ルポ。その他にも、夕刊、朝刊とたくさんの写真が必要になる。夜明け前から、糸満市の平和祈念公園周辺を奔走した。「平和の礎(いしじ)」や壕(ごう)、式典などを撮影し、午後には約70㌔離れた名護市辺野古にも足を延ばした。

 1日で1800枚を超えるシャッターを切り、その中から40枚を選んで会社に送信した。梅雨明け直後の強い日差しの中、汗を拭う余裕もなく、撮っては送るを繰り返した。いい写真が撮れたなんて実感はなかった。

 翌日、思い通りの紙面にならずに肩を落としての帰り道、先輩から「シェアの嵐。おつかれさま」とメールが届いた。中日新聞1面に掲載された安倍晋三首相を翁長雄志知事らが見つめる写真が、会員制交流サイト(SNS)で評判になり、拡散されていることを知った。

 沖縄全戦没者追悼式の撮影エリア。会場外の取材に追われ、事前に位置を決める抽選には参加できなかった。最後方から脚立の最上段に立ち、カメラマンとカメラマンの隙間からシャッターチャンスをうかがった。

 覚えているのは、沖縄に寄り添おうと意識したこと。翁長知事と安倍首相が一つの画面に納まる瞬間は何度かあった。そのいずれの場面でも、迷うことなく翁長知事にピントを合わせた。

 沖縄について何かを語れるほど、知識もなければ取材もしていない。ただ、この1枚が脚光を浴びることが、人々が沖縄の現状にわずかでも関心を寄せるきっかけになればと思う。

☆アンビシャス賞 連載「こころ揺らす」1-5部 

          北海道新聞社編集局報道センター記者 村田 亮

「アイヌ民族の今」を読者とともに考えたい

昨年4月から始めたアイヌ民族の現状を考える連載「こころ揺らす」は2月上旬に第7部を掲載し、今も続いています。そのような中ではありますが、評価をいただいたことに感謝致します。

 明治期以降、北海道に入植した開拓民はアイヌ民族の生産活動の領域を一気に狭めました。当時の政府が行った同化政策の影響もあり、アイヌ民族の言語を含む伝統文化は壊滅的な打撃を受けました。差別や偏見を恐れ、アイヌ民族のルーツを明かさずに暮らす人は今も少なくありません。

 アイヌの血を受け継ぐ人の話を聞くため、連載開始の半年前から人づてに情報を得て各地を回りましたが、拒まれることがほとんどでした。中には「アイヌの血を受け継ぐことが知られ、(アイヌの血を隠して暮らす)親戚に迷惑がかかっては困る。記者のつまらない満足のために、アイヌのことを書くべきではない」と反感を買うこともありました。

 出自を明かすことをためらわせる、この社会はいったい何なのかー。強い疑問を感じ、連載を始めるに当たって、アイヌの血を受け継ぐ人たちへの理解を少しでも深めてもらうおうと思いました。

 自らのアイヌと向き合うことに踏み出した若者、新しい視点でアイヌ文化を発信している人たち、民族と観光の未来を描こうとする動き-。さまざまな視点から「アイヌ民族の今」を伝えてきました。これまで多くの反響が寄せられ、「アイヌ民族と北海道の歴史を学びたい」などの感想が目立ちました。

 連載はこれからも続きます。今後も読者と一緒にアイヌ民族と社会を巡る現状を考えていきたいと思います。よろしくお願いします。

☆メディア賞 「大阪の国有地 学校法人に売却/金額非公表 近隣の1割か」 

       朝日新聞森友問題取材班      担当デスク 鎌内 勇樹(大阪阪社会部)

                           記者 吉村 治彦(同)

                           記者 飯島 健太(当時)

コツコツ掘り起こした事実で問いかけ続ける

メディアに関心を持つ市民の自発的な運動体である「メディア・アンビシャス」の皆様方から、栄えある賞を賜り、大変光栄です。取材班一同、今後ともメディアの第一義である権力監視を続けていく覚悟を新たにしております。

 さて、森友学園の問題は多岐にわたりますが、大きく分けて二つあります。一つは問題の根幹である国有地の格安売却問題です。手続きが適正だったかどうか、価格が適正・公正に算定されたかどうかです。売買が原則なのに定期借地契約を結び、売買に切り替えて10年間の分割払いまで認めたのは異例ずくめで、売買価格も我々が報じるまで非公表にしていました。しかも国が大幅値引きの理由とした「ごみ撤去費」の根拠は、会計検査院から不明確だと指摘されました。

 国民の財産である国有地が国民の知らぬ間に、特例の手続きで、根拠もあいまいに安く処分されたことになります。

 もう一つの大きな問題は、交渉記録や面会記録などの文書を国が廃棄したり、情報公開に応じなかったりして、我々メディア、国民が行政の公平性を検証できなくしていることです。そんなことが許されれば権力は腐敗し、民主主義の土台が崩れていきます。そうさせないように事実をコツコツと解き明かし、国民の前にきちんと提示し、問いかけていく。いまが正念場だと思っています。

 受賞を皆様方からの叱咤激励と受け止め、粘り強く取材を続けていきます。

     (鎌内記)

☆入選 1強第2部「パノプティコンの住人」

       朝日新聞政治部1強企画取材班     担当デスク 松田 京平

                           担当キャップ 蔵前 勝久

「分断」の巧みさをファクトで暴く

このたびは第9回メディア・アンビシャス大賞活字部門の入選作品として選んでいただき、ありがとうございます。

 「1強」企画は、2016年10月に自民党総裁の任期延長が決まり、明治期にさかのぼる歴代内閣でも最長になる可能性が出てきた安倍政権の力の源泉と、長期政権がもたらしている影響についてファクトをもとに描くという試みでした。

 「パノプティコンの住人」は、現政権下での自民党、野党、官僚、メディアそれぞれが分断され、従属し、忖度している状況を描きました。パノプティコンとは、監視者がいてもいなくても独房で囚人が監視を意識する監獄施設のことを意味します。小選挙区制の導入や官邸への権限集中という「平成の政治改革」によって強化された政権に対し、われわれメディアも含めてパノプティコンの住人に陥っているのではないか、という自戒を含めた問題意識から、このタイトルを付けました。

 新聞社の大きな役割の一つは、権力の監視です。その暴走を批判し、不正や腐敗と戦うことは常に求められることです。私たち政治部の取材班がこの企画でこだわったのは、政権に対する批判を「論」に頼るのではなく、ファクトを丹念に積み上げることで実相に迫ることでした。

 政権内部や永田町・霞が関から、賛否両論、多くの反響をいただきました。メディアの検証が不十分だったことは反省点でもあります。今回の賞をいただいたことも大きな糧として、企画で得た教訓を今後の取材に生かしていきたいと思います。(松田記)

☆入選:「言葉の現在地」

                  北海道新聞報道センター記者 関口裕士

「とがった言葉」のまま読者に問う社会の今

 「希望は、戦争」。この言葉は2006年末、当時31歳のフリーター男性が月刊誌に寄稿した文章の言葉です。2015年夏から秋にかけて、札幌でも行われた安全保障関連法をめぐる動きを取材しながら、この言葉がずっと私の心に引っかかっていました。

 「直ちに影響はない」は2011年の東京電力福島第1原発事故後、当時の官房長官が繰り返し口にした言葉です。事故以前から原子力を取材し、事故後の福島に通っている私の心には、この言葉もまた引っかかり続けています。

 「言葉の現在地」は昨年1、3、8、11月に計9回連載しました。安保法や福島事故のほか戦争や労働問題について、引っかかった言葉や記録されるべき言葉を発した人の話を聞き、私たちの「現在地」を探りたいと考えました。

 ふだんよく書く原発関係の記事では、専門用語をかみ砕くなどして「わかりにくいことをわかりやすく伝える」ことを心がけています。これに対し、連載では「わかりにくいことがいっぱいあることを伝えたい」と思いました。わかりやすくすることでこぼれ落ちるものがあります。連載では、安易な結論に導くために言葉を丸めたりせず、とがった言葉はとがったまま、かみ砕けない言葉はその固まりのまま書こうと努めました。どこまでうまくいったか分かりませんが、連載が少しでも多くの人の心に引っかかってくれていればいいなあと思います。選に入れて頂き、ありがとうございました。

【映像部門】

☆大賞 NNNドキュメント’17「お笑い芸人VS.原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」

               日本テレビディレクター  加藤 就一

マコ&ケンこそ受賞に値する

 13年に「NNNドキュメント チェルノブイリから福島へ、未来への答案の入選に次いで今回「お笑い芸人vs.原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」が大賞を頂きました。日テレの入社面接でやりたい番組はと聞かれ、答えた「ウルトラクイズ」「11PM」「NNNドキュメント」全てお陰様で担当でき、現在に至ります。

 今回の受賞は、お笑い芸人・おしどりマコさんケンさんが獲ったと言っても過言ではありません。最初私は、お笑い芸人が原発事故に詳しいって言ってもキワものだろと思っていました。でも会ってみて驚いた。東電記者会見に6年で500回以上通い、東電の誤りを指摘出来る程勉強してるのです。まさに一目惚れ。そして初めて講演会を取材した時ビビビっと私に電流が!なんと講演自体がドキュメント作品の構成になっている!!この講演を忠実に映像化すれば凄い事になる!

 本来ドキュメンタリーは撮れた膨大な素材を見て考え、一体どこから入り、どう繋げ、怒りだ、悲しみだ、悪だ、一番伝えたい事に光をあて、最後にどうやって感動とか溜飲を下げる所にもっていこうとか考え抜きます。地道で膨大な時間がかかります。しかし構成が6年の血の滲む努力で出来上がっていたのだ!後は裏を取れれば…「そうだ、彼らが500回以上通った東電の会見映像だ、そこに全ての真実がある。」探してみると…会見初参戦のマコちゃんの初質問を発見。いける! 更に東電の会見者達がマコちゃんの様々な質問でどれ程オタオタしているのかも。

 安倍首相がリオで「汚染水は完全にブロック」と言い放った翌日の東電会見は秀逸でした。見た事がない世界がそこにありました。まさにこれがテレビ!震災以降仕事を干され、おそばを“半分こ”する等頑張ってきたマコ・ケンちゃん。OAから丸1年の今年2月、おしどりはホットスポットだった千葉県松戸市で母子向けに講演を行っていました。今も各地で今訴えないといけない事を地道に取材し、発信し続けています。

☆アンビシャス賞

BS1スペシャル「父を捜して ~日系オランダ人  終わらない戦争~」 

                           ディレクター  金本 麻理子 

埋もれた歴史に心の傷を探るカギが…

 「日系オランダ人」。その言葉さえご存じでない方も少なくないのではないでしょうか?

インドネシアはかつて300年以上、オランダの植民地でした。太平洋戦争中、日本はオランダを破り、インドネシアを軍政下に置きます。日本軍兵士や軍属と現地女性との間に子どもたちが生まれ、その数、5000~2万人と言われています。終戦後、インドネシアでは再び独立戦争が勃発し、母子はオランダへ渡ります。こうした人々が「日系オランダ人」です。

オランダへ渡った日系人たちは「敵の子」とされ苦難の戦後を生きることになります。

 今回、取材で出会ったナニーと娘マリアン。戦時中、日本人との間にナニーを生んだ母親は戦後、蘭印系男性と結婚します。その男性は、かつて日本軍捕虜となり過酷な労働を強いられ憎悪を抱いていました。その憎しみはナニー、そしてマリアンへと世代を超え連鎖しそれぞれの人生を大きく変えました。それでも彼女たちは「父親捜し」を続けるのです。

多くの日系オランダの人々にとって「父親捜し」は、ただ父親と会いたい、消息を知りたいということだけでなく過去と向き合い、憎しみやトラウマを乗り越えるためのものでもあると取材を通じ感じました。

☆メディア賞

 NNNドキュメント17「記憶の(おり)

           山口放送報道制作局テレビ制作部 部次長 佐々木 聰

視聴者に教えられた戦争の両面

この度はこのような栄えある賞をいただき有難うございます。報道色の強いコンクールでの受賞に、スタッフ一同大変喜んでおります。

戦争をテーマに取材を始めて、3年。最初は、引揚げ者の「被害」を中心に進めました。特に注目したのは、敗戦後、外地でソ連兵などから受けた、日本人女性の「性暴力の被害」です。夕方の情報ワイド番組の中で手記を募集し、寄せられた体験談を元に取材にお伺いする。まさに視聴者と共に放送活動を進めました。

 そんな中、戦争体験談に紛れてお叱りの声を頂戴します。「なぜ被害ばかりやるのか」と「日本兵も同じことをやっているのでは」というご指摘を機に、取材対象は「加害」の体験者へと変わっていきます。対象者が少ない中、お会いできた元日本兵は、皆90歳を超えていました。既にお亡くなりになっていても、「加害」の手記や証言映像を残している方については、ご家族を取材するなどしてご協力を得ながら、なんとか放送を続けました。

すると、またお叱りの声。「なぜ加害ばかりやるのか」と。「被害者はたくさんいるのだ、『加害』ばかりやらないで欲しい」というご指摘でした。

「被害」と「加害」の両面から取材と放送を進めるようになったのはこの時からです。両面から見ることによってこそ「反戦を訴えられる」と教えてくれたのは、紛れもなく視聴者でした。

「シリーズ戦後70年」と題して15分程度の特集を、この3年で20回放送しました。取材に行く先々で言われることがあります。

「なぜもっと早く来てくれなかったのか」、「もっと話せる人は大勢いたのに」と。その度に思うのです。

「果たして自分は、何をしていたのだろう」と。私は、戦後70年になるまで、「戦争」というテーマから逃げ続けていました。「私がやらなくても、誰かがするだろう・・・」と考えていたのです。その後悔は消えません。これ以上悔いの残らぬよう、この先も取材を続けたいと思います。

☆入選

「生まり島ぬ言葉忘ね 国忘ゆん」(読み方:うまりじまぬ くとぅばわしぃね くにわしゆん)

        沖縄テレビ放送報道制作局 報道部部長 末吉 教彦

                       記者  具志堅 洋太

                       カメラマン 赤嶺 一史

「しまくとぅば」に、沖縄への誇りと愛

県系人という言葉は、沖縄以外ではあまり馴染みがないかと思います。多くの移民を輩出した沖縄県民にとって、海外移民の子孫は同じウチナーンチュ(沖縄人)の同胞です。2016年に開催された「世界のウチナーンチュ大会」にも多くの人が世界中から集い、絆を確かめ合いました。番組取材のきっかけは、なぜ彼ら世界のウチナーンチュはここまで沖縄に思いを寄せるのか知りたいと思ったからです。同時に、沖縄の文化を海外の地で守り受け継いでいる彼らの思いに触れた時に、今の自分は沖縄の何を知っているのかという思いに至りました。

 番組では沖縄独自の言葉を「しまくとぅば」としました。「島言葉」と当て字を使う場合もいいますが、沖縄では集落などの地域を「しま」と呼びます。地域ごとに微妙に表現や言い回しが異なる言葉を総称して「しまくとぅば」と番組では定義しました。しかし、しまくとぅばは先人たちから受け継いだ大切な言葉であるにも関わらず、ほとんどの世代で使用されなくなっています。「なぜしまくとぅばを復興させるのか」と多くの方から質問もされました。では私たちは何を失おうとしているのでしょうか。その事も海外のウチナーンチュを取材する動機になりました。

 沖縄戦に従軍した県系2世の男性を取材しました。彼は戦場と化した故郷でしまくとぅばを使って人々の命を救いました。言葉が衰退している今の沖縄を憂いながら、去年10月に亡くなった彼の思いを記録できたことは番組制作の大きな成果だったと思います。

 取材を通じて「ウチナーンチュとは何か」をずっと考えています。その答えは今も見つけられていません。確かなことは、自分達の周りにある文化は当たり前のものではなく、先人たちが守り育んできたものだということです。そのバトンを託された私たちが次の世代に繋ぐべきものを見失おうとしている事に警鐘を鳴らしたいと思います。(具志堅記)

【特別賞】

東京新聞社会部記者 望月 衣塑子 

「問うべきは問う」が記者の仕事

 応援の気持ちが込められた名誉な賞をいただきました。ありがとうございます。大変、励みになります。自分についてネットやSNSで調べたり見たりはしないのですが、心配してくれる人の声を通じて「どうやらネットでは風当たりが強いらしい」と感じることもあります。

 ご安心ください。東京地検特捜部を担当していた頃、蛇蝎(だかつ)のように嫌われ、情報源を調べられ、聴取までされました。当時、ある検察幹部からは「カエル」とコードネームで呼ばれていました。面の皮の厚さは評価されていたようです。

 昨年の6月から菅義偉官房長官の会見に出るようになり、8カ月が過ぎました。「おそらく誰かが聞きたいであろう」と思う疑問を、畑違いのイシューも多いですが、勉強しながらこつこつ聞いています。私の質問は、多くの人から支持されるものではなく、ただの「おせっかい」かも知れません。でも、それを聞くのが職業としての役割だと思います。「それが常識だから。大多数の意見だから」とやり過ごすのではなく、問い質すべきだと思うのです。

 記者歴は20年近いですが、いまさらながら質問の難しさを痛感しています。今年に入ってからは菅長官は「以前お答えした通り」などと、うその回答でやり過ごす場面も増えました。進行役の報道室長からは「いま手を挙げている方、お一人一問でお願いします」とピンポイントで質問制限もされます。一方で、官邸はその様子も動画で公開しています。だから、フォロワーの方が、その様子をユーチューブでまとめて頂いておりました。「いじめが酷い、流石にきついな」と思った時に、日々、陰ながら応援してくれている方がいることを知り、「こんなことでへこたれてる場合じゃないぞ」と自分を鼓舞しました。

ごまかしたり、話をそらしたりする自らの姿をきちんと動画でさらす菅官邸の姿勢は、それなりに評価できます。これを流さなくなったら本当におしまいです。

 いま、働き方改革関連法案の審議の中で、裁量労働制の基本となるデータが誤っていたことが次々に明るみに出ています。法案の基軸となったデータ数値がそもそも違っていたのに、政府は「今国会の法案の提出、成立の方針に変わりはない」と強弁しています。また、「記録も記憶も無い」と国会で答弁し、国民から批判を受けている佐川宣寿国税庁長官を「適材適所」とかばい続けています。

 モリカケ問題をはじめ、現政権のこんな態度を私たちは何度、目にしてきたことでしょう。「そのうち国民は忘れる」と馬鹿にしているのです。でも、世間のみなさん、我慢強いというか、沸点が高すぎませんか?

 取材分野である防衛政策を見ると、対北朝鮮や対中国という名目で、巡航ミサイル導入や護衛艦の空母化、敵基地攻撃能力技術である高速滑空弾の技術研究など、これまでにない政策を次々と掲げています。

 この流れを傍観するわけにはいかないと感じています。「戦争なんてしない、できない」と思っている政権支持層の若者には、「駆り出されるのは君たちよ」と伝えていきたいと思います。煙たがられても、おばちゃんは黙ってられません。安倍さんが最初に首相をしていたころ、なんて呼ばれていたか知っています? 「KY」です。私も政権の空気を読まず、質問や取材に臨んでいきたいと思っています。(2018年2月28日記)                 

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